新型コロナウイルスにより、年度末の学校のとりくみが吹っ飛んでしまいました。
3年生は、「卒業式の学活」も予定通りはできないだろうし、
1,2年生は、クラスの思い出を文集に綴るなんてこともできないでしょう。
こんな時にどんな通信を紹介したらいいんだろう?
いつものようにファイルの束をパラパラとめくると…
ありません(T_T)
こんな未曾有の危機の経験がないからです。
そこで、これから子どもたちは約1ヶ月休むってことになるので、
「長い休みである夏休み直前に出した通信で、よさそうなのはあるかな?」と探してみると…
あまりありません(T_T)
担任の夏休み前って、すごくバタバタしているからなぁ。
それでもやっと見つけ出した学級通信「道のべ No.37」(1989年7月20日発行)を紹介します。
いよいよ夏休み
いよいよ明日から「夏休み」
42日間もの長~い休みの始まりだ。
道のべもしばらくの間、出せなくなってしまうんだなぁ。
1学期は、アッという間に過ぎてしまったけど、後ろの壁にはいつのまにか多くなった年表が、君たちの過ごした1日1日を思い起こさせる。
いっぺんにこんなに書くことはできなくとも、1日1枚ずつならできるのだ。
夏休みの間も、ただ遊びまわるだけでなく、何かやり続けることだ。
わずかずつでも積み重ねれば変わっていくのだから。
2の3の1学期は、かなりの失敗とわずかな成功に彩られていた。
失敗しても失敗してもあきらめず、すてきなクラス作りを2学期からも目指そうな。
矢を射る者
俺の放つ矢を見よ。
第一のはしくぢつた、
第二の矢もしくぢつた、
第三の矢もまたしくじつた。
第四、第五の矢もしくじつた
だが笑ふな。
いつまでもしくぢつて許りはゐない。
今度こそ、
今度こそと
十年余り
毎日、毎日
矢を射つた。
まだ本物ではないにしろ
たまにはあたりだした
見よ
今度の大きな矢こそ
人類の心の真たゞなかを
射あてゝみせる
そしてぬけない矢を
俺の放つ矢を見よ。
(岩崎書店「人生の詞集」より)
通信の中にある「後ろの壁にはいつのまにか多くなった年表」は、以前のブログで紹介しました。
これです ↓
さて、安倍総理の「日本全国の小中学校、特別支援学校、高校の臨時休校要請」で、日本全国が大騒動です。
あまりに唐突で、ほぼ準備していない状態での要請だったからです。
学校現場も大混乱ですが、保護者も大変です。
共働きの家庭、子どもが小さい家庭、仕事を休むことでの収入減…
しかし、安倍総理は
「こうした措置に伴って生じる課題には責任を持って対応していく」
と発言されたので、解決案を提示されると思います。
今回ばかりは、
- 心地よい言葉を言うけど、実行しない
- できてないことを、できてると言う
なんて嘘をついたりしないはずです。
ただ、今までのこともあるからなぁ(^^;)
安部さんや、安部さんを忖度するようなとりまき連中にまかせるのは危険かもしれません。
さて、昨日(2/27 木)の安倍総理の「3/2(月)から学校の臨時休校を要請する」発言を受けて、各県、各市町村が今後の対応を打ち出しました。
私の勤務する地域の学校は「3/3(火)から臨時休校」となりました。
「新型コロナウイルス対策としての臨時休校は賛成だが、今日(2/28 金)だけでは、今後約1ヶ月の休みに対して準備が追いつかない」
という判断でしょう。
ちなみに、近隣の久留米市の大久保市長は「3/9(月)から臨時休校」と発表しました。
「1週間の準備期間を使い、臨時休校の理由や期間中の過ごし方を児童や生徒に説明したい。また中3生が3/10(火)に公立高校入試があるのでその事前指導までする」
とニュースで流れました。
1週間遅らせたことで、久留米市で新型コロナウイルスが感染爆発したら、久留米市長は責任をとる覚悟でしょう。
前回のブログ ↓で
「集団」とは、全体のことを考え行動するリーダーが指示を出し、みんなで幸せになろうとする人の集まりのことです。
と書きました。
私は、久留米市長の姿勢に、
「忖度するのではなく、久留米市民のことを考え行動する」
というリーダーの姿を見いだします。
「行動せずに後悔するより、行動して後悔する方が賢明である」
というのがあります。
安倍総理にしろ、久留米市長にしろ、「行動して後悔する方」をとったということでは似ています。
けれど、とにかく第1の矢を射て、たくさんの非難が集中している安倍総理。
第1の矢を射る前に、様々な困難を予想し手立てをとろうとしている…そのために1週間使おうとしている久留米市の大久保市長。
新型コロナウイルスとの闘いは、医学にたずさわる方々の努力が追いついた頃に、必ず勝利できるはずです。
それまで第2の矢、第3の矢…と射つづけることになるのでしょうが、ともに頑張るのなら、私は大久保市長の方がいいな~(^^)/