前々回のブログで紹介した通信の中に
「明るく仲良くなりつつあるけど、なれあいにもなりつつあるんではないかな?なれあいになったとき、クラスとしての正常な判断が失われがちになる。(フリーウェイ13号に少し書いてます…ブログには未発表、そのうち紹介しますね)」
とありました。
前々回のブログにどんなことが書いていたか、気になる方はこちらです ↓
「今日はどれを紹介しようかなぁ」なんて感じで、その日の思いつきで通信を紹介しているので、時系列的に変になってしまいました。
ごめんなさい<(_ _)>
しかしさらに困っています。
フリーウェイ No.13を紹介するのはいいのですが、題名が「まとまりのある2の1にするために part3」なのです。
すなわちNo.13を紹介したら、
「まとまりのある2の1にするために part1」や
「まとまりのある2の1にするために part2」
をまだ紹介していないので、また時系列的に変になってしまうのです。
そこで、すっきりするために part1である学級通信「中央フリーウェイ No.9」(1986年5月1日発行)から順次紹介していきます
まとまりのある2の1にするために part1
2の1の担任として君たちに求めるもの、それは真にクラスのためを思う心
記録17
先生、6班の人、おかしいと思う。
だってあの人達、風紀班でしょ!!
それなのに遅刻の表を見ても、服装検査の表を見ても、6班が一番と言っていいくらい悪いし…。
だいたい風紀班は、本当はみんなに指導をしなければいけないんじゃないかなぁと思うんだ。
はっきり言って、自分たちが何にもお手本…じゃないけど、そういうふうなことをやって見せないから…と言うこともあると思う、
もうちょっとまじめにやってほしいです。
6班の人、帰りの会の時、笑って、何にも反省してないし…。
少しは責任感じゃないけど、そういうの感じたらいいのに…。
そりゃー私たちも責任感ないけど…。
先生は、「そういうことは風紀班に言えばいい」と思うかもしれないけど、班長会の時も、案外手を挙げていろいろ言ったから、また言うと悪いし…。
でも頭にくるし…。
担任ののぞむ理想の生徒像は
⇓
- 他人の話を聞く生徒
- おかしいことを見逃さず注意する生徒
- みんなで決めることは必ず守る生徒
- 発言や行動に責任を持ち、自分自身を振り返る生徒
- 学級会・生徒会活動に積極的に参加する生徒
⇓
- 相手のイタミを自分のイタミに
- 自分たちの問題を、勇気を持って自分たちでとりくむ
⇓
みんなの問題を組織的にとりくむためには
学級会
班長会(定例化)
学級活動の中心的機関で、人間で言うなら頭脳にあたります。
班長会の内容は次の通りです。
- 班員の訴えや要望についてどうとり扱うか話し合う
- 学級内の問題点を出し合い、その解決法を話し合う
- 互いの班の実践(とりくみ)上の問題点や困っていることを出し合う
- 学級会にかける原案をつくる
- 学級で決まったことを守らせる
記録17は、2の1が「仲良し集団」から「学級集団」へと高まりつつある証拠です。
おかしいこと、間違っていることが堂々と通る集団には成長は無く、暗く重苦しい雰囲気が支配するものとなります。
進歩するには、勇気を持って問題にとりくむことが必要なのだ!
担任をすると年度初めに「学級経営案」というものを作成して、管理職に提出しなければなりません。
この通信の後半は、学級経営案を丸写し…したのかなぁ。(恥ずかしながら覚えておりません)
校長の学校経営案が提案され、それを受けて学年主任が学年経営案を書きます。
担任はそれら2つの経営案を見て、学級経営案を書くことになります。
優れた管理職、優れた学年主任だったら、2つの経営案を見て学級経営案を作る作業は、担任にとって有益です。特に若い先生だったら尚更でしょう。
しかしそうでない場合は…、
悪口になるのでやめときますm(__)m
それでも、担任自身が「教師としての哲学」というか「こだわり」というか、そんなのを持っている場合は、学級経営案にも魂は入るかな~。
けれど近年、学校現場は超多忙のため、学級経営案を魂を込めて書く余裕はほぼありません。
それでも「◯日までに提出してください」なんて言われるんです。
するとどうすると思いますか?
前年の学級経営案をコピペしたり、他の方の良さそうなのをコピペしたり…。
子どもの実態が同じなんてありえないのに(ーー;)
そうやって作った学級経営案なんて、担任の先生はすぐに忘れてしまいます。
だから私は若い先生には「学級経営案を本気で書きいよ。提出した後でもいいからさぁ」なんて話します。
ちなみにこの通信を書いた1986年は、先生2年目
学級経営案を書く際は、隣の学校に勤めている兄貴分から学んだ「班活動による学級集団作り」を自分なりに書いたのですが…。
まだまだ借り物の知識でした。
こんな「学級経営案」を子どもに見せるだけで、子どもがその通りになるなら、担任なんて必要ないです。
そんなことがわかってなかったんだなぁ(^^;)
担任は、学級経営案を心にいつも持っておきながら、その都度その都度、子どもにわかる言葉で伝えていくべきなのに。
例えるなら、演劇のセリフで、悲しみを表す時に、「悲しい」という言葉をそのまま使うみたいなもんです。
私は劇の台本を長く書いてきましたが、「悲しい」という言葉を使わず悲しみを表してきたというのに…。
自分自身の未熟さが伝わる通信です<(_ _)>
ちなみに「経営」という言葉には、違和感をずっと感じ続けています。今でもネ。