現在、↓
で紹介した通信の中の1文
「明るく仲良くなりつつあるけど、なれあいにもなりつつあるんではないかな?なれあいになったとき、クラスとしての正常な判断が失われがちになる。(フリーウェイ13号に少し書いてます…ブログには未発表、そのうち紹介しますね)」
を解説するために
- 学級通信「中央フリーウェイ No.9」…まとまりのある2の1にするために part1(前回のブログ)https://moheji.hatenadiary.jp/entry/manabu/gakkyusyudanzukuri
- 学級通信「中央フリーウェイ No.11」…まとまりのある2の1にするために part2(今回のブログ)
- 学級通信「中央フリーウェイ No.13」…まとまりのある2の1にするために part3(次回のブログの予定)
の順で、1986年の学級通信「中央フリーウェイ」を紹介しています。
こんなふうにほぼ連続で紹介できると、題字の横のパラパラ漫画の変化がわかって楽しいかもしれません(^^)
まとまりのある2の1にするために part2
今、班を考える One for all,All for one
記録21
先生、今日、私はすばらしいことを学びました。
それは今日、◯◯くんが朝、来なかったので、先生が「勉強がわからなくなる」
とか言ってましたよね。
そして先生が「勉強の内容をノートに書いてあげれば」と言ったとき、
みんな書いてやろうと思って、教科ごとに役割を決めました。
班の中で協力しないとできないことなので、とてもいいと思った。
他の班も休んだりした人がいたら、ノートに勉強の内容を書いてあげれば、すごくみんなと仲良くなれる気がする。
記録21のあなたへ
本当にすばらしいことを学べたね。
班の中の1人ひとりを大切にしようとする態度(それも班の中の人全員がそうらしい)が表されているし、班の中で生じた生活面での問題(友だちが休んで、授業がわからんようになる)に対して、班で協力していこうとする姿勢がはっきり出てる。
みんなへ
何気なく僕が言った言葉でも、この班の人たちは、班の成長のための行動を起こせた。
そして、それはどの班にも可能性があるのです。
にもかかわらず「自分の班が1番だ!」と言える人はどれくらいいるだろう。
班の問題を、見て見ぬふりをしては、いないか?
「班がおもしろくない」と言うだけで、変えようと努力をしていないのではないか?
班のムードを変えるには、1人が、君が、やる気を見せることから始まるんだ。
そして1人のやる気をしぼめることなく、班員全員で協力することが重要だ。
そこで僕は次のことを提案します。
こんなにすると、少しは班の中のとりくみに方向がつくような気がするのです。
この提案についての意見、学計記に書いてくること!
先生の独り言
どうして班活動をするんだろう。
きっと39人の仲間1人ひとりを大切にしながら、全体として強いきずなを作りたいけど、いっぺんには難しい。
そこで「班」が登場するんだと思う。
それから、よく言われるけど、班は気の合った者どうしが集まるのがいいんだろうか?
いや、気の合わない人どうしの集まりの方が、班活動する中でお互いのふれあいが深まり、気持ちが通じ合い、理解し合えるようになったときの喜び、そして団結力が強いと思うナー。
その1つが記録21の班だナ。
そしていつか、班で出会った者の背景がよくわかって、
誤解していたことに気づいたり、
人の心がどんなものかわかったり、
自分と仲間1人ひとりが対等であることに気づいたり、
自分に書けている長所を持っている友人がいることに気がついたりして、
班が団結していくんだ。
班の団結は、すなわち2の1の団結なのだ。
通信中の「みんなへ」の中に出てくる「学計記」とは、当時使っていた連絡帳「学習の計画と記録」を省略した言い方です。
それと、やはり「みんなへ」の中に、私の提案として「土曜日の帰りの会で評価してみたい」とあります。
当時、土曜は半ドン授業で、お休みではなかったのです。
「半ドン」と言っても、若い方にはピンとこないかな?
午前中授業して、清掃、帰りの会をして放課(部活に行ったり、帰宅したり)のことを私は「半ドン授業」と言ってました。
さて、当時の私は、集団作りについて模索中だったこともあり、今読み返すと「これは暴論だぁ」と感じるところもあります。
「気の合わない人どうしの集まりの方が、班活動する中でお互いのふれあいが深まり、気持ちが通じ合い、理解し合えるようになったときの喜び、そして団結力が強いと思うナー」
の部分とかです。
と言っても、今でも「好きな者どうしで班を作っていい」なんてことは言いません。
ある班は好きな者どうしが集まれた「bestな班」が作れたとしたら、そのしわよせが必ず他の班にいくからです。
今は
「すべての班が『bestな班』になることはない。だから『betterな班』を作ろうね」
と班長会での班編制(新しい班をつくること)の際には話をします。
時々、「くじで班編制をしています」という先生に出会います。
「それが公平だ」という考え方ですね。
しかし私は「くじ」もしません。
例えば、4月にあるPTAの役員決めで、なり手がなくて、最後にくじを引くってことが、今までに何度となくありました。
しかし、多くの場合、きつい思いをされている方が当たったりしました。
誰もが同じ生活背景で、きつさが同じであれば「くじ」もいいでしょう。
しかし、保護者でも子どもでも、生活背景は違い、きつさが違っているのです。
保護者会の場合は、なかなか「きつさ」を出すことはできないでしょうが、せめて毎日顔を合わせ続ける「学級」では「きつさ」を出し合えて、話し合いながらよりよい仲間に育ってほしいと願います。