もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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文科省が行いたい改革のうち「論理的思考」や「思考力」を楽しく解説するとこうなります

 30年前にちょっと話題になったコマーシャルがありました。

 こんなのです。

 

 まっすぐ帰れば200m

 セブンイレブンに寄って帰れば300m

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CMには確かこんな図が出てたような…

 でも、その100mで、

 こんなことができたり

 こんなことができたりする。

 セブンイレブンに寄れば300m。

 でもその100mで

「あっ」

「きれい」

 けっこうよいことがあったりする。

 私とあなたのセブンイレブン

 

 パッと見ただけでは、何が話題になるのかわかりませんよね。

 実は中3生の数学で勉強する「三平方の定理(直角三角形の応用)」で考えると、こんな長さはありえないんです。

 1988年2月14日の朝日新聞でも「セブンイレブンCMで諸説紛々」という見出しで記事になってました。

 ネットで検索しましたが、さすがに30年前の記事を見つけることはできませんでしたので、記事の要点を抜粋して紹介しますね。

 

 このCMはセブンイレブンが、昨年10月からテレビで流している。画面に直角三角形の図を入れて、説明したのが発端。

 ところが、「直角三角形の斜辺が200mで、他の2辺の和が300mなんてありえない」という意見や問い合わせがセブンイレブンや本社に続いた。

 が、一方では、数学の上では成り立つと奇抜な解釈、数式などが寄せられ、論争へと発展した。

 例えば東京都新宿区の和田平八郎さんは「2辺の長さがひとしい直角三角形の場合、斜辺が200mなら、残りの2辺の和は141+141で282m。それに店内を18m歩くとぴったり300mになる」という。

 この18mは「セブンとイレブンの和」という。

     (中略)

 東京都世田谷区の楢崎信浩さんの理論も、いろいろな疑問を含みながらも傑作。

 1辺を141mと認めた上で「皆さんは道幅があるのを忘れている」という。

 駅から家には道路を横切らないから200m。

 セブンイレブン経由だと、4.5m幅の道を渡るから

(4.5m + 141m + 4.5m)✕2=300m

になるという。

 「私は大学数学科の4年。4月からは高校で数学を教える身、これで証明された」と断言するのだ。

    (中略)

 東京・練馬の岩瀬順一さんの結論は

「半径191mの球状にした小惑星を考え、

北緯45°、東経0°に駅が、

北緯45°、東経90°に家が、

北極点に店があればよろしい」

というもの。

 もうここまでくると、どれが正解なのか。

 広告主は「意味ないんですけど」

 結局みんなで “ いい気分 ゛

 

 このCMを見た私も疑問を感じ、中3の数学の授業で早速とりいれました。

 そして学級通信にも書きました。

 ただし、三平方の定理については数学の授業で解説したので、学級通信では別の切り口で書きました。

 どんなことを書いたのでしょう?

 では1988年2月20日発行の「中央フリーウェイNo.99」を紹介します。

中学の数学の本当のねらいは推理小説をよめることだ!

 いつの日か、このフリーウェイを読み返す人がいるかもしれない。

 10年後なら25才、今の僕と同じ年齢か。

 その時「あぁ、担任の先生は数学だったなぁ」と思い出すように、今日は数学の話をしようと思う(ここまで読んで、読む気がなくなった人、だまされたと思って読んでみなさい)。

 別にフリーウェイで「三平方の定理」について話すつもりじゃない。

 セブンイレブンのCMの話は、授業でしたよなぁ。

 僕は、受験のための数学より、こんな身近なことに疑問を持って考える(えっ、「まっすぐ帰って200メートル、お店に寄るために直角にまがって300m」なんて、あり得る?)ことの方が、よっぽど本物と思っている。

 もっと言えば、数字を使わなくても、例えば「推理小説を読んで、書いてある手がかりをいろいろ考え合わせて犯人を捜すこと」、これなんか図形の証明と流れがそっくりだ。

 また、大事な物をなくしたとき、「どこでなくしたんだろう?」と過去までさかのぼって、

「あの時ああして、次にこうしたから…」と筋道立って考えるのも、数字を使わない数学と思っている。

 いや、本当はそんなふうに考えを整理して、結論を出せる(なくした物の場所を推理できる)よう、そのトレーニングとして数学という学問があるのだ。

 

 数学だけじゃなく、他の教科だって、受験のためにあるのでなく、生きていく上で必要な、「考え方のトレーニング」や「知識」であるのだ。

 そして、これから先、学校を出て社会に出た後も、そして死ぬまで、人として学ぶことがあるだろう。

 逃げ出さないこと。

 人として生きるなら「人」とは何か、考え続けること。

 あっ、そうそう

 受験について文句を書いたが、実際問題としてあるのだから、まず負けないように。

 大人になったとき、また考えよう。

 

 通信の最初の1行に「いつの日かこのフリーウェイを読み返す人がいるかもしれない」と書いたのは、

「10年後、20年後、部屋の片付けをしてて、ふと中学時代にもらった学級通信の束が出てきて、パラパラめくってこの通信を読み返す」

そんな偶然を思いながらこの通信を書きました。

 1988年の私は、インターネットで過去の通信を紹介できるなんて思ってもみませんでした。

 技術の進歩には驚かされます。

 しかし書いている内容は、今でも十分通用しますよね(^_^)v

 

 というか今になって、文科省は、小学校でプログラミング学習を導入するなど、論理的思考の必要性を声高に叫んでいます。

 思考力・判断力・表現力というキーワードで、今までにはない大改革を行おうとしています。

 

 「論理的思考」や「思考力」というと難しく感じますが、私はやっぱり

  • 推理小説をよんで犯人を指摘できる力」
  • 「なくした物を見つけられる力」

の方がしっくりきます(^^)