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朗読劇「島唄」の画像例

Kindle本2冊目

子どもたちに反戦平和をどう伝える?② 朗読劇「島唄」シナリオ

お買い上げありがとうございましたm(_ _)m

 

朗読劇「島唄」の画像例

最初の画像

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(画像1)明るい太陽、青い空と海

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(画像2)三線を弾き歌い踊るおじいおばあに囲まれて育っていた沖縄の子どもたち

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(画像3)けれど70年前は、日本本土同様「お国のために死ぬことは名誉なことだ」と教え込まれました。

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(画像4)2005年、島唄を作ったザ・ブーム宮沢和史さんは朝日新聞で次のように語っています。

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(画像5)「島唄」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

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(画像6)1991年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。

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(画像7)そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、

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(画像8)本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

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(画像9)捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。

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(画像10)資料館は自分があたかもガマ(自然にできた洞窟)の中にいるような造りになっている。

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(画像11)このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

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(画像12)だが、その資料館から一歩外に出ると、沖縄の人たちがウージと呼ぶさとうきびが静かに風に揺れている。

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(画像13)歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。

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(画像14)「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。

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(画像15)「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。

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(画像16)でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た

(1945年4月1日、春が訪れ、沖縄本島に米軍が上陸した)

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(画像17)でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た

(4月から6月、米軍の侵攻が続いた)

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(画像18)くり返す悲しみは 島渡る波のよう

(米軍の残酷な殺戮は、寄せては引く波のように繰り返された)

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(画像19)ウージの森であなたと出会い

(サトウキビ畑で愛するあなたと出会い)

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(画像20)ウージの下で千代にさよなら

(ガマであなたと永遠の別れとなった)

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(画像21)島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ (島唄よ、風に乗り死者の魂を海の彼方にある神界ニライカナイへ導いておくれ)

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(画像22)島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 (島唄よ、風に乗せて沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)

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(画像23)でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ

(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた)

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(画像24)ささやかな幸せは うたかたの波の花

(幸せな日々の生活は、はかなく消えてしまった)

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(画像25)ウージの森で歌った友よ

(サトウキビ畑で一緒に歌を歌った友よ)

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(画像26)ウージの下で八千代の別れ

(ガマで自決する前に、泣きながら故郷を歌った)

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(画像27)島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ(島唄よ、風に乗って魂とともに海を越えて)

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(画像28)島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

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(画像29)海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を

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(画像30)島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

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(画像31)島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

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(画像32) 島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

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(画像33)島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

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(画像34)

ララララララ ララララ
ララララララララ
ララララララー

ララララララ ララララ
ララララララララ
ラララララララー

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(画像35)古来、沖縄には「殺す」という意味の方言はありませんでした。

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(画像36)本土では床の間に刀を飾りますが、沖縄では三線を飾ります。

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(画像37)明治以降、日本が富国強兵に向かった時、沖縄県民はついていきかねました。それで『日本人としてはおかしいよ』と差別が始まったのです。

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(画像38)昭和にはいると一人前の日本人として認められたいがため、沖縄の先生、行政職員が方言をなくす運動を推し進めました。

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(画像39)太平洋戦争では学徒たちが文字通り死ぬまで働きました。

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(画像40)自民党の菅 義偉官房長官はこう言いました。

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(画像41)政府としては、国土面積の1%に満たない沖縄県に約74%の米軍基地が集中していることについて、

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(画像42)沖縄県民に大きなご負担をお願いしていることについて重く受け止めている。

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(画像43)2016年の3月21日、米兵による女性暴行事件に抗議する「緊急県民抗議集会」が開かれ、抗議のために2500人が集まりました。

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(画像44)戦後71年にわたって米軍が存在している結果、復帰後だけでも、米軍の犯罪事件が5910件発生し、そのうち凶悪事件は575件にのぼる異常事態です。

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 画像44を使っての先生の話の例

1972年に沖縄は日本に復帰されました。

それから2016年までの44年間で、アメリカ軍による殺人,強盗,強姦,放火といった凶悪犯罪だけでも571件です。

単純に割り算すると571÷44=12.97…

1年間で約13件。

月1以上でアメリカ軍による殺人,強盗,強姦,放火が起こっているのです。

そしてそれが現在まで毎年続いているのです。

では、どんなことがあったか表の中からいくつかを見てみましょう。

1947年

28歳の女性

自宅にピストルを持った米兵が侵入したため逃げるが、生後6ヶ月の子どものことが気になり戻ってきたところを畑にひきずりこまれて強姦され、ピストルで殴打されて死亡。

犯人は逮捕されましたが、その後どうなったかわからなくなりました。

日米地位協定という法律により、犯人を日本の法律で裁けないからです。

そして、自宅の中でも安全ではなかったということです。

1985年

店番をしていた小学生、米兵に強姦される。長年、家族だけの秘密にしていたが、1995年11月の「行動する女たちの会」の座り込みの場で父親が証言。

この時は沖縄じゅうが怒りました。

8万5千人が参加する県民大会が開かれ、結果として米軍普天間飛行場を返還する日米合意につながりました。

ただ、返還は今も実現しないどころか、辺野古への基地移設に問題をすり替えられています。

沖縄の人々は、基地移設に反対していますが、それを同じ日本人である他県の機動隊員が取り締まっています。

2016年、機動隊員が沖縄の人に「この土人が」と差別発言したこともニュースになりました。

 

(画像45)2016年の5月19日、沖縄県うるま市で女性が遺体で見つかりました。

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(画像46)その事件を受けて、6月19日に沖縄県民集会が開かれました。

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(画像47)その集会で被害者と同世代の玉城愛さんがスピーチした文章を配ります。

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学習プリント「玉城 愛さんがスピーチした文章」

 被害に遭われた女性へ。

 絶対に忘れないでください。

 あなたのことを思い、多くの県民が涙し、怒り、悲しみ、言葉にならない重くのしかかるものを抱いていることを絶対に忘れないでください。

 あなたと面識のない私が発言することによって、あなたやあなたがこれまで大切にされてきた人々を傷つけていないかと日々葛藤しながら、しかし黙りたくない。

 そういう思いを持っています。

 どうぞお許しください。

 あなたとあなたのご家族、あなたの大切な人々に平安と慰めが永遠にありますように、私も祈り続けます。

 安倍晋三さん。

 日本本土にお住まいのみなさん。

 今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。

 しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。

 いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。

 パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。

 ばかにしないでください。

 軍隊の本質は人間の命を奪うことだと、大学で学びました。

 再発防止や綱紀粛正などという使い古された幼稚で安易な提案は意味を持たず、軍隊の本質から目をそらす貧相なもので、何の意味もありません。

 バラク・オバマさん。

 アメリカから日本を解放してください。

 そうでなければ、沖縄に自由とか民主主義が存在しないのです。

 私たちは奴隷ではない。

 あなたや米国市民と同じ人間です。

 オバマさん、米国に住む市民のみなさん、被害者とウチナーンチュ(沖縄の人)に真剣に向き合い、謝ってください。

 自分の国が一番と誇るということは結構なのですが、人間の命の価値が分からない国、人殺しの国と言われていることを、ご存じですか。

 軍隊や戦争に対する本質的な部分を、アメリカが自らアメリカに住む市民の一人として問い直すべきだと、私は思います。

 会場にお集まりのみなさん。幸せに生きるって何なのでしょうか。

 一人一人が大切にされる社会とは、どんな形をしているのでしょうか。

 大切な人が隣にいる幸せ、人間の命こそ宝なのだという沖縄の精神、私はウチナーンチュであることに誇りを持っています。

 私自身は、どんな沖縄で生きていきたいのか、私が守るべき、私が生きる意味を考えるということは何なのか、日々重くのしかかるものを抱えながら現在生きています。

 私の幸せな生活は、県民一人一人の幸せにつながる、県民みんなの幸せが私の幸せである沖縄の社会。

 私は、家族や私のことを大切にしてくれる方たちと一緒に今生きてはいるのですが、全く幸せではありません。

 同じ世代の女性の命が奪われる。

 もしかしたら、私だったかもしれない。

 私の友人だったかもしれない。

 信頼している社会に裏切られる。

 何かわからないものが私をつぶそうとしている感覚は、絶対に忘れません。

 生きる尊厳と生きる時間が、軍隊によって否定される。

 命を奪うことが正当化される。

 こんなばかばかしい社会を、誰が作ったの。

 このような問いをもって日々を過ごし、深く考えれば考えるほど、私に責任がある、私が当事者だという思いが、日に日に増していきます。

 彼女が奪われた生きる時間の分、私たちはウチナーンチュとして、一人の市民として、誇り高く責任を持って生きていきませんか。

 もう絶対に繰り返さない。

 沖縄から人間の生きる時間、人間の生きる時間の価値、命には深くて誇るべき価値があるのだという沖縄の精神を、声高々と上げていきましょう。

 

問1 沖縄の痛みについて感じたこと。

 

 

問2 あなたや先生たちに向かって言われた「日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。」の意味はどういうことだろう。

 

 

問3 平和とは何だと思いますか。

 

 

感想

 


 年   組   番名前            

 

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