この記事を、リライトしました。
こちらです🙇♂️
https://moheblo.com/blog/shima-uta/
資料として、画像や詩をそのまま置いています。
戦前の沖縄
日本本土では床の間に刀を飾りますが、沖縄では三線を飾ります。
明治以降、日本が富国強兵に向かった時、沖縄県民はついていきかねました。
それで『日本人としてはおかしいよ』と沖縄の人に対して差別が始まったのです。
昭和にはいると一人前の日本人として認められたいため、沖縄の先生、行政職員が方言をなくす運動を推し進めました。
戦時中の沖縄
文字通り「死ぬまで働いた」→「たくさんの子どもが死にました」
学校では、日本本土同様「お国のために死ぬことは名誉なことだ」と教え込まれました。
その結果、太平洋戦争では沖縄の子どもたちは文字通り、死ぬまで働きました。
彼らの遺書には『一人前の日本人として、お国のために』という言葉がいっぱい出てきます。
島唄に込められた想い
2005年のヒット曲「島唄」を作ったザ・ブームの宮沢和史さん
島唄 THE BOOM
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
くり返す悲しみは 島渡る波のよう
ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の涙
でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは
うたかたの波の花
ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ いのちよ
このまま永遠に夕凪を
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の涙
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を
ララララララ ラララララー
ララララララララ
ララララララー
ララララララ ララララララ
ララララララララ
ラララララララー