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朗読劇「1945」の画像例

 朗読劇「1945」の画像例です。

 Kindleで販売予定の

「子どもたちに反戦平和をどう伝える?① 朗読劇『1945』シナリオ」

の番号と照らし合わせながら、チェックされてくださいm(_ _)m

 

画像(1)戦争のために金属の鍋やヤカンを国に差し出せという金属回収令が
出されました。

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画像(2)戦争で戦っている兵隊さんのために、作った米や野菜を国に差し出
しました。

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(3) 国は「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンを作って我
慢させました。

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(4)戦争で勝つために、村の若者が兵隊に召集されることは名誉なこと
だと祝いました。

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(5)学校でも「お国のために命を捧げるのは名誉なことだ」と教えまし
た。

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(6)1945年、今から7●年前は特別な年です。

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(7)3月27日、ここから●●キロ離れた大刀洗が空襲を受けました。

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(8)4月1日、沖縄に米軍が上陸し地上戦が始まりました。

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(9)6月17日、鹿児島が空襲を受けました。

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(10)6月19日、ここから●●キロ離れた福岡市が空襲を受けました。

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(11)6月23日、沖縄での地上戦が終了しました。

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(12)6月29日、長崎県佐世保市が空襲を受けました。

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(13)7月1日、熊本が空襲を受けました。

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(14)7月25日、大分県津久見市保戸島では、授業中だった保戸島
民学校に爆弾が落とされ、児童125人、先生2人が即死しました。

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(15)8月5日、佐賀が空襲を受けました。

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(16)8月8日、ここから●キロ離れた筑紫駅西鉄電車に対して戦闘機
による銃撃事件が起きました。

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(17)8月9日、長崎に原子爆弾が投下されました。

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(18)8月11日、ここから●●キロ離れた久留米が空襲を受けました。

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(19)紹介したのは私たちの身近な九州・沖縄だけです。日本全国だとこ
の何倍もの空襲があり被害があります。

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(20)政府は負け始めていることを国民に隠して、戦争に協力させようとし続けた1945年であり、

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(21)軍事基地でもなく民間人が住む住宅地に対しての空襲は、重大な戦争犯罪であることをアメリカは知った上で空襲を続けた1945年でもありました。

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(22)みなさんは特攻隊を知っていますか。

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(23)特別な攻撃とは、片道の燃料と爆弾を積んで、敵の船に体当たりする攻撃であり、爆発と同時にパイロットの身体はバラバラにちぎれ遺骨さえも戻ってきません。

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(24)この方は特攻隊員の穴澤利夫(あなざわとしお)さんです。

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(25)穴澤さんは特攻に飛び立つ前に、恋人の智恵子(ちえこ)さんに次のような最後の手紙を送りました。

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(26) 万葉

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(27)句集

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(28)道程(どうてい)

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(29)一点鐘(いってんしょう

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(30)故郷(こきょう)

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(31) ラファエル「聖母子像」

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(32)芳崖(ほうがい)「悲母観音」

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(33)智恵子 会いたい、話したい、無性に。

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(34)智恵子さんは、穴澤さんの煙草の吸殻を大事に持っていました。

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(35)戦後63年目、智恵子さんは福島県の穴澤さんの実家を訪ねました。

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(36)智恵子さんは、軍服を手に取り、顔を埋めて静かに泣きました。

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(37)1945年3月、大刀洗空襲で朝倉市の頓田(とんだ)の森に逃げ込んでいた立石国民学校の子ども24人が即死しました。 

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(38)1945年8月9日。原子爆弾は私たちの上で破裂した。私は
傷ついた。

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(39)ちらっと妻の顔がちらついた。

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(40)ただ一面の焼け野原だった。

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(41)そばに十字架のついたロザリオの鎖が残っていた。

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(42)妻の骨を墓に埋めた私は、山の家へ避難中の、子どもをたずねて行った。

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(43)永井隆さんは「長崎の鐘」や「この子を残して」の作者であり医師でもありました。

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(44)1951年、原爆症により、2人の子どもを残して亡くなりました。

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(45)僕は、山里小学校に入った。いまは4年生だ。

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(46)あの友だちは、ここでたくさんの子どもが死んで、焼かれたことを知らない。

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(47)そして、お母さんを焼いたその所にしゃがんで、そこの土を指でいじる。

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(48)母を亡くした子の悲しみ

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(49)子を亡くした母の悲しみ

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(50)父や兄を戦争に送り出し、帰ってこなかった家族の悲しみ

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(51)最愛の恋人を戦争で亡くした悲しみ

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(52)命からがら生き残って戻ってきたのに、愛する家族を失っていた父の悲しみ

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(53)愛する我が子を残したまま死んでいく親の悲しみ

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(54)悲しみ

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(55)戦争で亡くなった方、310万人

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(56)亡くなった方を悲しんだであろう恋人、妻、子ども、夫、じいちゃん、ばぁちゃん・・・

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(57)当時の日本の人口7000万人のうち、1000万人以上の人たちの悲しみが、この国にあふれました

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(58)愛する者一人を亡くした悲しみは、74年が過ぎても癒えることはありませんでした。その悲しみが1000万人分です。

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(59)悲しみでうちひしがれた人々は、戰爭が終わったとき、二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと強く願いました。

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(60)だから74年たった今でも、私たちは戦争について学ぶのです。

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(61)74年前、この国にあふれた1000万人分の悲しみを決して忘れないために。

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(62)街々はがらがら崩れていって

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(63)まわりの人達がたくさん死んだ

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(64)男たちは挙手の礼しか知らなくて

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(65)わたしの頭はからっぽで

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(66)わたしの国は戦争で負けた

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(67)ラジオからはジャズが溢れた

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(68)わたしが一番きれいだったとき

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(69)フランスのルオー爺さんのように

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