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沖縄慰霊の日 平和の詩 2003

沖縄慰霊の日 平和の詩 一覧

 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2003沖縄慰霊の日 平和の詩

川の水よ 太陽よ

読谷小5年 知花かおり

 

「わあ、冷たくて、気持ちいい」

がまの中を流れる水

この冷たさは いつからだろう

何年も前から

わたしたちを

いやしてくれた

戦いの間も 同じように流れていたのか

 

きっと この冷たい水音を

だれも聞かなかった

だれも川の水のかがやきに気づかなかった

 

川の水だって聞きたくなかった

いつも見守っていた人間の

ばくげきで流れる血の音なんて

鉄ぽうでうたれて苦しむ声なんて

 

でも 川の水は聞いてきた

 

「わあ、まぶしくて、あたたかい」

がまから出てながめた夏の太陽

このまぶしさは いつからだろう

何年も前から

わたしたちを

てらしてくれた

戦争の間も 同じようにかがやいていたのか

 

きっと 太陽なんて

だれも見なかった

だれもこのまぶしさに気づかなかった

 

太陽だって見たくなかった

いつも見守っていた人間が

おたがいを殺し合うところなんて

弱い者をいためつけるところなんて

でも太陽は見て来た

 

川の水よ

今 争いに苦しんでいる所に流れ

冷たい水をのませてほしい

元気のない子に

ミルクがなくて泣いてる子に

平和をのぞんでいる人達に

 

太陽よ

今、戦争をしている所にのぼり

まぶしく照らしてあげてほしい

親をなくした子を

ケガをしている子を

戦争から立ちなおろうとしてる人達を

 

川の水よ 太陽よ

世界中の人に

約束させてほしい

 

もう

戦争はしないと

もう

人を殺さないと

 

未来に平和を

作ること

沖縄慰霊の日 平和の詩 2004

沖縄慰霊の日 平和の詩 一覧

 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2004沖縄慰霊の日 平和の詩

戦争をしないと決めたこの国で

首里高校3年 金城実倫

 

6月23日

沖縄

梅雨明けの暑い夏の日

強い太陽の日差し

やむことのない島風

どこまでも広がる碧い空と海

それら全てが

この島々に調和し

いつも変わらぬまま

生きている

いつもより静かなこの日

蝉の鳴き声だけが

聞こえていた

 

正午

島の人々は

摩文仁に向って

静かに目を閉じた

ある者は未来を夢見て

ある者は過去を見つめて

そして涙を堪えて

目を閉じた

 

59年前

第2次大戦末期

沖縄

太陽の日差しは

黒く淀んで

島風

爆風へと変わっていった

 

碧い空と海には

多種多様の鉄の玉が飛び交い

赤褐色に染まっていった

 

人々は逃げた

2人で逃げかくれた

一緒に守り合った

 

でも

撃たれた

苦しみながら死んでいった

泣きたかった

 

でも

泣けなかった

叫びたかった

 

それでも

叫べなかった

恨んだ

憎んだ

 

そして

悲しんだ

切なかった

死にたくなった

持ってる手榴弾

死にたくなった

 

でも

怖くて死ねなかった

怖くて死ねなかった

だから生きた

生き抜いた

 

でも

見るもの全ては

地獄だった

つらかった

 

兵隊が

同じ仲間に銃を向けている

子どもにも銃を向けている

その光景が

80日間

毎日のように

毎秒のように

繰り広げられた

 

人間が人間でなくなる

そのものだった

 

涙を堪えたおばあ

記憶に残るあの悲劇

1分間

おばあの中で甦った

堪えた涙はたえきれず

こぼれ落ちた

 

目を開けた

摩文仁に向って閉じてた目を開けた

今の沖縄を見た

 

家の庭先には

柵がある

どこまでも

どこまでも続く柵

強い太陽の日差しの下

子どもたちは柵の前で

楽しく遊んでいる

柵の向こうには

銃を持っている軍人が

汗を流しながら立っている

 

おばあは

その銃を睨んだ

 

そして

空には容赦なく

米軍機が飛び交い

爆音が

子どもたちの笑う声を

かき消していく

 

おばあは

また涙をこぼした

忘れたくても

忘れられないあの悲劇

でも

忘れてはならないあの日々を

 

おばあは

そっと孫たちに

「戦争」の悲惨さ

おろかさを

そして

「命」の尊さを

教えた

 

あの日々を

二度と

二度と繰り返さないために……

 

また世界のどこかで

「戦争」が起きている

 

人は何を求め

何を奪うために

「戦争」をするのか

 

残酷と悲劇の産物である

「戦争」

 

おばあたちが教えてくれた

あの「戦争」

 

私たちはどうすればいいのか

どうしようもないのか

どうすることもできないのか

 

いや

そうではない

そうではないはずだ

私たちは

生きている

私たちは

生きているのだから

考えることができるのではないか

話合うことができるではないか

 

だから

目を逸らさずに

見つめていこうではないか

今世界で何が起きているのかを!

「命」の尊さ

自然のすばらしさを!

そして

「平和」の真の意義を!

戦争をしないと決めたこの国で……

沖縄慰霊の日 平和の詩 2005

沖縄慰霊の日 平和の詩 一覧

 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2005沖縄慰霊の日 平和の詩

平和な今

与那原東小6年 上原 凛

ぼくは戦争を知らない
戦争は人の命をうばい
すべてのものをうばうという
そんな戦争が今でもどこかで続いている
どうして?

ぼくは戦争を知らない
戦争は家族をバラバラにし
人の心をメチャクチャにするという
そんなバカな事がいつまでもやめられない
どうして?

ぼくは戦争を知らない
美しい山や自然が戦争でこわされ
明るくおだやかな生活が
戦争でなくなっていくという
そんな悲しい事が ずっと 終わらない
どうして?

ぼくは戦争はいやだ
友達と一緒に笑い
家族と共に食事をする
そんなふつうなことが
いつまでも続いてほしい

ぼくは戦争はいやだ
げっとうの花がさき
青い海で元気に泳ぐ
そんなことがずっと
ずっと続いてほしい

ぼくは戦争はいやだ
学校で授業を受け
たん生日をみんなで祝う
そんなあたりまえのことが
なくなってほしくない

今ぼくにできること
仲間を大切に思うこと
仲間と協力しあうこと
そして
いやだと思うことは
はっきりNOといえること

今ぼくにできること
戦争がいやだといえること
戦争のこわさを伝えていくこと
そして
みんなで平和を願うこと

ぼくは戦争を知らない
でも ぼくは戦争はいやだ
今ぼくにできること
毎日を大切に生きること
人の痛みを感じること
平和な今に感謝すること

沖縄慰霊の日 平和の詩 2006

沖縄慰霊の日 平和の詩 一覧

 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2006沖縄慰霊の日 平和の詩

若い瞳

那覇商業高校3年 池彩夏

 

紺碧の大空に

照り付ける太陽の日差し

アカバナが揺れる坂道を

私は自転車でのぼっていく

 

額からふきだす汗を

グイっと袖でふきとって

ペットボトルに手を伸ばす

 

コポコポと音をたてて

喉を潤していく水に

米軍の戦闘機が映り

入道雲のかなたに消えてった

 

私はそれを横目で見ながら

ペダルに再び足をかけ

自転車をこぎだした

 

戦後61年

いまだに居据わる米軍基地は

私達の生活になじんで

風景の一部となった

 

米軍の戦闘機は

耳をつんざく爆音を落とし

勝手気儘に飛びまわっている

 

いったいぜんたい

沖縄戦はどこに消えたのか

 

自転車のハンドルを握る手に

不思議と力が入る

 

本当に

本当に戦争は風化しているのか…

もし風化しているのなら

なぜ私はこんなにも

我武者羅に自転車をこぐのだろうか

ただ米軍の戦闘機を見ただけで…

 

強い逆風をうけながら坂道を下る

 

カーブを曲がるため

軽くブレーキをかけた

少しずつスピードが落ちていく

 

こんなふうに

時代の流れにも

ブレーキが使えたらいいのにと思う

 

もしかしたら

そのブレーキになれるのは

他ならぬ

私達のような若者なのかもしれない

 

私達が持っている瞳の先は

何よりも強く

真っ直ぐ

沖縄をみつめているのだから

沖縄慰霊の日 平和の詩 2007

沖縄慰霊の日 平和の詩 一覧

 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2007沖縄慰霊の日 平和の詩

写真の中の少年

沖縄尚学高校付属中2年 匹田崇一朗

 

何を見つめているのだろう

何に震えているのだろう

写真の中の少年

 

周りの老人や女性、子供は

身を寄せ合って声を殺しうずくまっている

後ろでは逃げ出さぬようにと

鋭い眼光で見張るアメリカ兵

その中で少年はひとり一点を見つめている

何を思っているのだろう

 

とうとう戦争はやって来た

いつ来るとも知れない恐怖に怯えながら

必死に生きてきた

少年のもとに

悪魔はとうとうやって来た

 

戦争で異郷の地にいる父や兄に代わって

ひとり毎日山へ行き

家族を守りたいその一心で

防空壕を掘り続けた少年

しかし無情にも堅い岩が

少年の必死の思いをあざ笑うかのように

行く手を阻み掘り進む事ができない

手には血豆

絶望感と悔しさが涙とともにあふれ出た

 

とうとうやって来た

奴は少年のすぐそばまでやって来た

殺される

死ぬのだ

そんな恐怖が少年を震わせ凍らせた

 

やっとの思いで入れてもらった親戚の防空壕

泣きじゃくる赤ん坊の口をふさぎ

息を殺して奴の通り過ぎるのを祈った

少年は無我夢中で祈った

しかし祈りは天には届かなかった

 

壕の外でアメリカ兵の声

「出て来い」と叫んでいる

出て行くと殺される

「もう終わりだ」

少年は心の中でつぶやいた

 

先頭に立って出て行こうとする母親を

少年は幼い手で必死に引き止めた

 

けれどいつしかその手は離れ

母親はアメリカ兵の待つ入り口へ

 

それに続いて壕の中から次々と

少年や親戚が出て行った

 

写真はまさにその直後に撮られたものだ

 

とうとうやって来た

恐怖に怯え

夢や希望もなく

ただ生きることだけに

家族を守ることだけに

必死になっていた少年のもとに

悪魔はやって来た

 

写真の中の少年

一点を見つめ何を思っているのだろう

写真の中の少年

僕の祖父

何を思っているのだろう

 

どんな逆境の中でも最後まであきらめずに

頑張って生き抜いてきた祖父

 

だから今の僕がいる

命のリレーは

祖父から母へ

母から僕へと

つながった

 

あの時祖父が生きることをあきらめずに

必死で生きてきたから僕がいる

 

だから

自分で自分の命を絶ったり

他人によって奪われたりということは

いつの世でも

いかなる場合でも

決してあってはならないことだ

 

僕がいる

必死で生き抜いてきた少年がいたから

僕がいる

 

僕はその少年から受け継いだ

命のリレーを大事に絶やすことなく

僕なりに精一杯生きていこう

 

また少年から聞いた

あの忌わしい戦争の話を

風化させることなく

語り継いでいこう

沖縄慰霊の日 平和の詩 2008

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 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2008沖縄慰霊の日 平和の詩

世界を見つめる目

読谷小4年 嘉納英佑

 

やせっぽっちの男の子が

ほほえみながら、ぼくを見つめた

テレビの画面の中で……

 

ぼくも男の子を見つめた

どんな事があったの?

何があったの?

何も食べる物がないんだ

でも、ぼくは生きたい

くるしいけど、あきらめない

ぼく がんばるよ

えがおが あふれる

生きる人間の力強さを感じた

 

ぼくは 真実を見つめる目を

持ちたいと思った

 

悲しそうな目をした女の子が

なみだをうかべながら、ぼくを見つめた

テレビの画面の中で

 

ぼくもその女の子を見つめた

なぜ、悲しい顔をしているの?

なぜ、ないているの?

せんそうで、家族もいなくなっちゃった

家も 友達も

全部、全部なくなっちゃった

悲しいよ さびしいよ

どうすればいいの 助けて

大切なものをなくした人間の弱さを感じた

 

ぼくは 涙をふいてあげる

やさしい手を持ちたいと思った

 

きずだらけの男の人が

苦しそうな顔をして ぼくを見つめた

本の写真の中で……

 

ぼくも男の人を見つめた

どうしたの?

いたいでしょ 大じょうぶ?

あらそいからは なにも生まれはしない

おたがいにきずつくだけ

にくしみがつのるだけ

人間のおかしたあやまちの大きさを感じた

 

ぼくは やさしくてあてしてあげる

あたたかい心を持ちたいと思った

 

ぼくのとなりで

おじいちゃんが

自分の目で見てきたできごとを

ぼくに伝えた

苦しかったせんそうのできごと

 

おばあちゃんが

自分が体験してきたできごとを

ぼくに伝えた

こわかった そかい先でのできごと

 

お父さんが

自分が聞いたできごとを

ぼくに伝えた

食べる物がなく 苦しんでいる人がいる事

家がなく つらい思いをしている人がいる事

家族とはなればなれになってしまっている人

ざんこくでひさんなできごと

悲しくなった つらくなった

 

お母さんが何も言わず

ぼくをだきしめた

むねがいっぱいになった

あたたかいぬくもりが

ずっとずっと ぼくの中にのこった

 

みんながしあわせになれるように

ぼくは、

世の中をしっかりと見つめ

世の中の声に耳をかたむけたい

そしていつまでも

やさしい手と

あたたかい心を持っていたい

沖縄慰霊の日 平和の詩 2009

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 今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 過去の沖縄慰霊の日で読まれた「平和の詩」を探したら、ひとまとめになっているサイトがなかったので、ここ「もへちゃん先生の学級通信の資料置き場」にまとめようと考えました。

2009沖縄慰霊の日 平和の詩

平和のいのり
南城市立大里北小学校6年 比屋根憲太


石に刻まれた家族の名に

涙を落とす祖母

なんの形見も残っていない石に

声にならない声で

石をさすり

石をだきしめる

 

小さな声でとても小さな声で

「本当は話したくないサー」

少し首をかしげて

空を見上げる

 

人さし指の大きさの大きな傷

あごと左腕に残る

戦争の傷あと

 

祖母は傷の手当てをするために

水くみに行った

防空ごうに姉を残し

母と二人で

 

そのあとすごい光と音が…

そのまま姉はもどらなかった

 

「いっしょに連れて行けばよかった」

「ごめんね ごめんね」

と何度も何度も

きたときよりも

石を強くさすり

石を強くだきしめる

ぼくはもう声を上げて泣いていた

そして祖母の背中をずっとさすった

 

こんな青い空に

こんなおだやかな沖縄に

戦争は似合わない

 

祖母のくしゃくしゃな涙も

似合わない

 

そんな祖母はもう今は歩くことができない

 

毎日毎日空を見て

きっと

生きている喜び

生き残った悲しみを感じて

いるのだろう

 

ぼくは車いすをおして

祖母のいのりを引きつぐ

 

戦争のない平和な国を