社会派な記事が続いてしまいました。そこで今日は少し肩の力を抜いて読める通信を選んでみました。
ずばり「自己紹介」、年度初めの学級通信に書いた記事です。
でも、最近は副任をしているので、黒子役に徹するため自己紹介の記事は書いていません。あっ、でも通信はたくさん発行してますよ。題名は「学年だよりミニ」です(^^)
それでは遅ればせながら、ブログ第39回目でやっと自己紹介の通信を紹介します。
自己紹介
名前 ○○ ○○
年齢 52歳(数年前の記事です、あしからず)
担当教科 数学
こわいペン回し(笑)
数学に関しては、いわゆる「おちこぼれ」の経験があります。
高校時代、授業中はペン回し、放課後は部活(バレー部でした)に熱中したのが原因でした。だからペン回しにはまることの恐ろしさは身にしみています(笑)。
大きな後悔
中学時代、友だちに誘われてバドミントン部に入ろうとしたのですが、父から「背が高くなるスポーツじゃないとダメ」と言われ、バスケ部に入りました。
入部したときは納得して入ったくせに、さぼりたくなると「無理矢理、入れさせられた」といういいわけをして、ちょこちょこサボりました。
当然、真剣にやっている友だちとどんどん差がつき、さらに行きたくなくなりました。いわゆる悪循環ってやつです。
結局、1年後の中2の4月に入部届けを出さずバスケ部をやめてしまいました。
時間が少したってからかなり後悔しました。あの時、さぼらなければ…。続けていたら…。
別の部活に…、でも
そんな僕をバレー部の人が誘ってくれました。入ることは入ったのですが、その中学校のバレー部は、気合いの入っていたバスケ部(北陸大会3位になるほど)とは違い、ほぼお遊びクラブ的な部活でした。だから上手くもならなかったし、「試合のためにガンバロー」なんて雰囲気もありませんでした。当然、「勝つ喜び」もなかったし、「負けた悔しさ」もありませんでした。
その後、中3で転校しました。受験生ということもあるし、バレーが上手というわけでもないので、転校した先の学校では部活動には入りませんでした。
そして高校で
高校に入学する直前の春休み、バレー部の○○さんと名乗る先輩から電話がかかってきました。「バレー部に入りませんか」と。(内申書に中2の頃入っていたバレー部のことが書かれていたのでしょう。電話番号を顧問の先生が部員に渡したのかもしれません。今だったら個人情報漏洩ですね(^^;))
僕は「中学で部活動を続けられなかった自分」が嫌いだったので、高校で入った部活動は3年間続けようと心に決めていました。
空手部…おもしろそう。でも痛そう。
山岳部…興味あるなぁ
弓道部…かっこよさそー
考えに考えて、結局、電話をかけてくれたバレー部に入ることにしました。
緊張の一瞬
心に決めた次の日の放課後、体育館にあるバレー部の部室のドアの前に立ちました。中から声が聞こえました。笑い声も聞こえました。部活前なので着替えている時間だったのです。
心臓がドキドキしました。顔が熱くなりました。
ドアをノックしなければ…
のどがゴクッと鳴りました。
トントン
「バレー部に入りたいんですけど…」
嫌いだった自分を好きになれました
あの日のノックが、
部室のドアをノックしたことが、
僕の人生に大きな大きな影響を与えたのです。
尊敬する先輩に出会えました。
同学年の新入部員6人のうち、5人がやめてしまったけれど、僕は最後まで続けました。
嫌いだった自分を好きになりました。
「やればできる」って本気で思えるようになりました。
そして今の僕に続くわけです。
自己紹介・部活動編、これにて終了!
いずれ「夢をかなえる編」や「恋愛編」、話してあげられるかな?
ちなみにブログの題名の「もへちゃん」は高校時代のニックネーム「もへじ」からとっています。バレー部に入部したその日に先輩からつけられました。当時の私はその呼び名が好きでした(笑)そして、高校3年間、友だちからは「もへじ」と呼ばれました。
数年前、別の地域の組合の支部で『学び合い』についての講師をしたことがありました。「高校時代、もへじと呼ばれてました」みたいな話になったのですが、学習会に参加されてる女性から「もへじくんと言われて、思い出しました。同級生ですね」と言われました。
同窓会でも実名より「もへじ」と言った方が「お~もへじ、懐かしかねぇ」と言ってもらえます。
子どもたちに「あだ名とニックネームの違い」を話すときに使うエピソードです。