もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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即位礼正殿の儀に、沖縄の高校生・相良倫子さん招待

 新天皇の即位のため、祝日でしたね。

 朝、見ていたワイドショーもその話題でもちきりでした。

 ボーッと見ていたら、その即位礼正殿の儀に、沖縄の高校生・相良倫子さんが招待されているという話題に「えっ!?」とテレビの方に向きなおりました。

 昨年の沖縄慰霊の日(2018年6月23日)の沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読した相良倫子さん(当時、中学生)。すごくすごく素敵な朗読だったので、名前を覚えていたのです。

 昨年(2018年)、知り合いの先生が、事前に、インターネットで相良さんが「平和の詩」を朗読してるのを見つけ、その素晴らしさに感動して文字起こしをしました。そのデータを6月21日(木)の夜にくれたので、次の日の朝(6月22日金)、同僚の先生方に、「平和の詩 生きる」を紹介した通信を出しました。

 そこで今回は、2018年6月22日(金)に先生方宛てに出したその通信を紹介します。

 

平和の詩「生きる」 相良倫子さん

 昨日、○○の指導員の○○先生から「これ、すごくない?」と言われながら、一枚のプリントをもらいました。
 中身は、明日6/23(土)にある2018年沖縄全戦没者追悼式で、朗読される詩「生きる」でした。
 ネットで検索してみると次のような記事がありました。

 23日の慰霊の日に開かれる沖縄全戦没者追悼式で、自作の詩「生きる」を朗読する浦添市立港川中3年の相良倫子さん(14)が12日、同校で記者会見した。曽祖母から沖縄戦の体験をよく聞かされ、平和について考える機会が多いという相良さんは「私なりに考えて、自分の命を精いっぱい輝かせて生きていくことが平和だと思った」と詩に込めた思いを語った。

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詩に込めた思いを語る相良倫子さん=12日、浦添市立港川中学校

 94歳になるという相良さんの曽祖母沖縄戦が始まる前は理髪店で働いており、日本軍を指揮した牛島満中将の散髪をしていた。曽祖母が知る牛島中将は心配りができる人だったといい「戦争は人を鬼に変える。絶対にしてはいけない」と聞かされている。
 平和とは当たり前に生きることだと考え、詩のテーマを決定。沖縄の美しい風景と戦争で変わり果てた様子を描いた。「対比させると戦争の残酷さがより伝わるかなと思った」と狙いを語った。
 相良さんは「児童・生徒の平和メッセージ」の詩の部で3年連続で最優秀賞を受賞しているものの、朗読は初めて。聞いた人が平和について考えるきっかけになってほしいとし、「詩に込めたメッセージをしっかり伝えられるように読みたい」と意気込んだ。

 

 しかし、ニュースの記事は見つけられましたが、詩の全文はどこにもありません。
 ○○先生にどうやって手に入れたのかと聞くと、「動画で朗読してるページがあったから、○○先生と2人で文字起こしした」とのこと。
 さらに「○中の先生で、明日、学級指導や通信とかで使う人がいたら、渡して」と言われました。
 う~ん、これぞまさしく小中連携!!

 「明日は沖縄慰霊の日です。NHKで11時45分から式典が放送されます。君たちと同世代の相良さんの朗読、聞いてみませんか」なんて言いながら、学級通信、出せたらワクワクしませんか(^^)
 詩の全文については、個人フォルダの「○○○○○○」にワード形式で入れていますので、ご自由にお使いください。

「生きる」 港川中学校 相良 倫子

私は、生きている

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

優しい三線の響き、

照り続ける太陽の光。

 

私は何と美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが、

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった

 

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声

燃え尽くされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない。

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って

生きてきた、私と同じ人間だった。

それなのに、

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う、ただそれだけで、

無辜の命を。

当たり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、

この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に思いを馳せて、

心から誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、

絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を超え、あらゆる利害を超えて、

平和である世界を目指すこと。

生きること、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう、

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう、

能島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを、本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、当たり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている、

みんなと一緒に。

そしてこれからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って、平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友、私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう、

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人ひとりが立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け、悲しみの過去に。

命よ響け、生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 www.youtube.com

 ねっ、すごくすごく素敵な朗読でしょ!私は読むだけで泣きそうになります。

 だからこの詩だけで、朗読劇のシナリオ一本書けそうです(^^)

 学年通信の記事にしたい気持ちを抑えながら、前日に朗読の内容を文字起こししてくれた知り合いの先生の反戦平和への思いが、各学級の担任の先生の思いとなり、さらに子どもたちに届けばいいなと思って、先生方に提供したわけです(^^)

 ただし、何人の方が学級通信に書かれたかは把握していません。把握したらがっかりするような気がして…。それほど学校現場は疲弊しているからですねぇ(T_T)

 

 さて話は変わりますが、最近、「ネトウヨ」という言葉をよく耳にするようになりました。私自身も肌で感じるようになってきました。平和集会や人権まつりなどで、反戦平和の劇等にとりくもうとすると「被害」の立場のシナリオはあっさり通りますが(通らないこともありましたが、その話はいつかしましょうね)、「加害」の立場のシナリオにはクレームが来たり、管理職が難色を示したりするようになりました。

 この現象は日本だけでなく、世界全体が右傾化してるように感じがします。「右傾化」というより「ナショナリズムをあおる」と言った方がいいのかな?トランプさんなんてその最たる方ですよね(T_T)

 例えば、沖縄の基地反対について調べていたら、以前は「機動隊による基地反対派への暴力、暴言」等の動画がたくさんありました。けれど3ヶ月後に調べ直してみたら、見当たらなくなり、逆に「基地反対派を批判する」ような動画が多くなっていました。だから私はインターネットも操作されているんだろうなぁと思っています。

 沖縄基地反対の座り込みだけでなく、フランスのイエローベスト運動や、香港の対中デモについても、どうもマスコミは「デモ=反乱」というイメージを作り上げたいかのように報道してるように感じていました。

  しかし今朝のテレビ朝日のモーニングショーは、そんな私の思い込みを打ち砕いてくれました。

 「高校生としてはただ1人、沖縄の相良倫子さんが即位礼正殿の儀に招待された」ってことを取り上げたプロデューサーに感謝です。いや感謝すべきはテレビ朝日?それとも羽鳥さんかな?はたまた「戦力という愚かな力で得られる平和などない。天皇上皇の想いをこの詩が表している。これはまた天皇上皇の想いと今の権力がやろうとしていることの乖離が常にある」と解説した玉川さんかな?

 いや、それよりも相良さんを招待しようと考えた新天皇にこそ感謝かもしれません(^^)

 そういえば以前、園遊会で東京都の教育委員長をしてた米長さん(棋士)が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事」と話しかけた際、前天皇は「強制になるということではないことが望ましい」と返されました。周りの人たちよりよっぽど天皇の方が「国民の平和と世界の平和」について考えられているなぁと感じました。

 

 ちなみに私は「デモ=反乱」とは思っていません。そう思わせようとするマスコミには嫌悪感さえ感じます。

 なぜかというと、以前、フランスに家族が住んでいて、ご本人もよくフランスにも行っている同僚の先生から「フランスではどこかで毎日デモがあってますよ。民衆自身が自らの力で民主主義を勝ちとった国。フランス革命の国ですからね」「デモは決して反乱なんかじゃないですよ。民衆の訴えです」と教えてもらったからです。