もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

もへちゃん先生の学級通信はhttps;./.moheblo.comに引っ越しました

「何のために高校に行くのか」と子どもから問われたら、あなたは何と答えますか?③

 「何のために高校に行くのか?」と聞かれたら…シリーズ第3弾です。

 

 ある子が「何しに高校へ行くんだろう」と班ノートに書きました。(「何のために高校に行くのか」と子どもから問われたら、あなたは何と答えますか? - もへちゃん先生の学級通信の記録47歩目)

 次の子がノートいっぱいに返事を書いてきました。(「何のために高校に行くのか」と子どもから問われたら、あなたは何と答えますか?② - もへちゃん先生の学級通信の記録48歩目)

 

 ちなみに、班ノートへの赤ペン入れ(返事)について、私にはこだわりがあります。

 それは、子どもが1ページ書いてきたら、私も1ページ返事を書くことです。

 以前、組合の学習会でこのことを言ったら「え~、そんなのもへちゃん先生だからできるんでしょ」と返されたことがありました。

 そのときに私が答えたのは

「違いますよ~。ラッションペンの赤で大きめの字で、しかも1行とばしで書けば、あっという間に1ページ書けます(^_^)v」

 

 今回紹介する通信(学級通信「道のべ No.59」1991年1月24日発行)は、記録48歩目の班ノートの記事に対して、私が書いた返事(班ノートにはラッションペンで1行とばしで書きました 笑)をそのまま通信に載せたものです。

f:id:toshioh:20200122203351j:plain

学級通信「道のべ No.59」の題字、前回に比べわずかながらパラパラ漫画の犬が前進してるのにお気づきでしょうか?

48歩目の記録を読んでの僕の思い

 まず真っ先に感じたのは、夢をしっかり持ててることからくる強さ。

 目的(最終的なゴール)をしっかり見据えているから、目の前のハードル、どれを跳べばいいのか、迷わずに進んでる。

 

 それから47歩目の記録の中にあった

「受かっても期待外れということもある」

に対する答え

「いっちょん(ぜんぜん)面白くなくても、『面白くない』と決めつけんで、自分で『どういうところが面白くないのか』ってことをまず考えて、その答えが出たら、自分でその学校の面白くないところを、無理かもしれんけど、変えていくように努力せないかんと思う」

 そのとおりだと思う。

 本来あるべき姿を求める行動ならば、わかってくれる先生も高校には、いる。

 ただし、わがままを通そうとすることなら無理。

 わがままを通すために高校に行くなんてまちがいだから。

 

 高校におけるおもしろさとは、自分の人間性を高めていけるかにかかっていると思う。

 「人間性を高める」ということは、1人ひとり違うはず。

  • 部活に熱中する
  • 勉強に力を入れる
  • 資格試験にチャレンジする
  • 絵に打ち込む…

 それを求めていくことです。

 

 もう一つ

こういう世の中になっても、こんなことを考えるのは大切なことだと思う」

という部分

 多くの人が高校に進学していく時代。

 だからまわりに流され、人生について何ら決意することなく、高校に進む人も多い。

 そういう人は、目的がはっきりしていないため、世間の噂で高校にランクをつけたがる。

 世間の噂で言う「いい学校」というのにこだわり、自分の進みたい道とは違う高校を選んだりする。

 

 本当に「いい学校」とは偏差値で決められるものではない!

 君の人間性を高めてくれる学校こそ、君にとっての「いい学校」なんだ。

 

 もし君がしっかり夢を持っているのなら、その夢をかなえることができる学校こそ「いい学校」なんだ。

 

 39人いるんだから、39通りの生き方があるんです。

 おおげさに言えば、39校の「いい学校」があるわけです。

 考えに考え抜いて選んだ学校

 君にとって一番「いい学校」

 世間の噂に流されず、胸を張って受験し、できることなら合格を勝ちとって欲しい。

 君の人生なんだ。学歴だけが「力」ではないんです。

 性格、才能、技術…、いろんなものが「力」になる。

 それを伸ばすのが、高校であったり、就職先であったり、専門学校であったりする。

 

 この通信を発行した当時(1991年)は、偏差値に依存した進路指導が当たり前に行われていました。

 子どもも保護者も、そして私たち学校の先生も「輪切りの進路指導」に疑問を感じながらも、どっぷりと「偏差値」に依存していました。

 

 文部省(現在の文科省)が「業者テストによる偏差値等に依存した進路指導は行わないこと」という通知を出したのは1993年です。 

 さらに2000年には、通知表や内申書に書かれる成績が「相対評価」から、「絶対評価」に変わりました。

  • 偏差値による輪切りの進路指導
  • 全員ががんばっていい点をとってたとしても、1を全体の7%の割合でつけなければならない相対評価

 これらが、改善されたのは、私にとって嬉しいことでした。

 

 しかし多くの教育改革同様、これらは、なし崩しにされてきました。

  • 1993年直後は一切なくなった偏差値ですが、「中3の成績カードには、偏差値を書き込もう」という意見とともに復活しつつあります。
  • 絶対評価では高校入試の際に内申点の統一性がなくなる」ということで、「相対評価を加味した絶対評価」なるものをあみだし、従うことを強く求められます。ちなみに私は数学担当ですが、それを「絶対評価」とは言いません。

 つい熱くなってしまいました(笑)

 毎年、職員会議で「相対評価を加味した絶対評価」について反論していますが、ある年、会議後に管理職から呼ばれ「もへちゃん先生の言い分はもっともだが、必要悪ってあるやろ」と言われ、絶句したことがあるものですから(^^;)

 

 話を今回の学級通信に戻しましょうね(^^;)

 この通信は、記録48歩目の子に対するメッセージであって、元々の47歩目「何しに高校に行くんだろう」に対しての私の答えではありません。

 もちろん彼が班ノートに47歩目の意見を書いてきたときに、私は赤ペンで返事をたっぷり書いているのですが…。

 それで納得するくらいなら、この子は悩みはしないのです。

 班ノートや学級通信を通して、同世代の子たちの考えに触れることで、解決できたらいいなぁと思いながら、この時は通信にしたわけです。

 ということで「何のために高校に行くのか」と聞かれたら…シリーズは、さらに続きます。

 47歩目を書いた彼は、納得できるのでしょうか?

 次回を乞うご期待!