「何のために高校に行くのか?」と聞かれたら…シリーズ第2弾です。
「みんなが行くから」という、「理由」とは言えない理由で自分を納得させてしまうのも1つの対処法だと、私は思います。
でも、自分なりの納得できる答えを見つけられた方が断然いいです。
そういう意味では、悩みの当事者である子どもたちが意見を交換しあえる班ノートや学級通信は、理想的なアイテムではないでしょうか。
前回のブログで予告したとおり、今回は「何のために高校に行くのか?」とストレートに班ノートに書いてきた友だちに対して、同じ班の子が書いてきた返事…それを丸々写した通信(学級通信「道のべ No.58」1991年1月24日発行)を紹介します。
質問に対するある人の答え① 1人ひとり考えは違う、でも人の考えを聞くことで気付くこともある
48歩目
◯ちゃんの質問の「なぜみんな高校に行くのか?」の僕の考えやけど、あんましいい考えは出んけど…。
僕には、はっきりとした夢があるけん、それに向かって、頑張っていくために◯◯◯高校の◯◯科が、夢に向かっていくためには最高の環境(校則が何もなくて生徒自身にまかせる)だと思ったけん。
それに、その高校見たんやけど、体育祭とか観客のスタンド(生徒のため)とか建てて、生徒1人ひとりが生き生きと自由にやっとったのが印象的やったけん
「僕はこの高校に行きたい」って気持ちが、心の底から湧いてきた。
でも、外見だけじゃわからんけど…。
みんなが僕みたいな気持ちを持てる高校を見つけて、その高校に入ったけど、いっちょん(ぜんぜん)面白くなくても、
「面白くない」と決めつけんで、自分で「どういうところが面白くないのか」ってことをまず考えて、
その答えが出たら、自分でその学校の面白くないところを、無理かもしれんけど、変えていくように努力せないかんと思う。
高校中退者の数が今、どんどん増えようけど…。
その人たちは◯ちゃんが言うように「高校行っとかな、恥ずかしい」とか思って高校に行くんなら、「初めっから行くな!!」って思う。
でも、中卒の人は、しっかりやればやっていけるかもしれんけど、それはごく少数の人だけやと思う。
今の時代はどう転んでも「学歴社会」の世の中やけん、ほとんどの人がその社会に流されて行ってる今、僕たちみたいに「何で高校に行くのか」って考えてる人はごくわずかだと思う。
でも、こういう世の中になっても、こんなことを考えるのは大切なことだと思う。
僕には高3の姉がおるけど、「何で高校に行くのか」って聞いてみた。
姉ちゃんは「私もそう思ったけど、高校に入ってしまったら、そんなこといちいち気にしてられんようになった」って言ってた。
「男の人は、今の世の中、勉強せな世間からはじき飛ばされる。女の人は大学、行っとったらいい」って姉ちゃんが言ってた。
(結論)
こ~んなに長く書いたけど、結局、答えは出なかった。
中学だけでなくて、一生この答えは出ないかもしれん。
But when the people who think this question aren't anyone the world will be swallowed by a school career society!!!
(訳を考えよう )
今回紹介した通信は、題名以外は、全て子どもの班ノートの文章です。
班ノートにびっしり書いてくれた日は、こんな通信も書けるってことです(^^)
ちなみに、最後の英文も、この記録を書いた子から班の仲間への「問題」です。
今なら「和訳」でネット検索したら出てきますが、この時代はそんなことはありませんでした。
英語が苦手な子にとっては、難しかったろうなぁ…(^^;)
この子が書きたかったのは
「しかし、この質問を考える人が誰もいなくなったら、世界は学歴社会に飲み込まれます!!!」
かな?
今回の記録48歩目を書いた子は自らも書いているとおり、「結局、答えは出なかった」のです。
だから、前回のブログで紹介した記録47歩目を書いた子も、この記録48だけでは、まだまだ納得できませんでした。
この後も、この班のノートは、他の子からの「何で高校に行くのか」論争が繰り広げられていきます。
えっ?担任である私はどうしたかって?
私はこの班ノートの記録に対して、赤ペンでびっしりと返事を書きました。
どんなことを書いたかって?
私の赤ペンの返事を、次の学級通信「道のべ No.59」にも書いて、クラスのみんなにも考えてもらいました。
次回のお楽しみといたします<(_ _)>