「1人の100歩より、100人の1歩」
という言葉があります。
「1人が100歩進む(進歩する)より、100人が1歩進む(
という意味です。
もちろんその通りだと思います。
でも、ひねくれている私は「1人の100歩」も大事だと思っています(^^)
平和教育や人権教育など、変革を求めるとき、100歩先を進んで、
100人が1歩を踏み出せるよう力強く引っ張る存在が必要だったからです。
「受験は団体戦だ」
という言葉は、学力を高めるためにも、子どもたちの仲を深めるためにも大切な言葉であると、前回のブログで書きました。
ひねくれている私はここでも「本当に大事?」と考えます。
では、そのことについて書いた「3年7組学級記録 No.95」(2011年2月18日発行)を紹介します。
受験は…②
僕が◯◯◯中に来て、初めて聞いた「受験は団体戦」という言葉は、高校とかで使っているところがあるらしい。
インターネット検索で、こんな記録を見つけた。
「放課後は、毎日のように友だちと一緒に勉強しました。
『看護師』という同じ目標を持っていたので、お互い励まし合いながらできました。
最後までやりきれたのは、友だち・両親などからの励ましがあったからだと思います。」
ここに書かれていることを読んで思うことは、
受験は他人との競争ではなく、
先生方や友だち、そして家族などみんなとお互い励まし合いながら、切磋琢磨することが必要であり、
それがうまくいくことによって「合格」が得られるのではないかということです。
よく言われることですが「受験は団体戦」なのです。
浜北西高生が、一致団結して受験に立ち向かうことが大事なのです。
ちなみに「切磋琢磨(せっさたくま)」という言葉の
- 「切」とは、骨を加工する時の作業を表し、
- 「磋」とは、象牙を加工する時の作業を表し、
- 「琢」とは、玉(ぎょく)を加工する時の作業を表し。
- 「磨」とは、石を加工する時の作業を表す。
骨も象牙も玉も石も、古代中国で装飾品として貴重な品だったから、
これらの作業には、手間と緻密(ちみつ)さが要求された。
転じて
「同じことを志す者どうしが、互いに励まし合って向上しようとすること」
という意味となった。
ただ「受験は団体戦だ」という言葉だけが1人歩きしちゃならんと、僕は思っている。
「みんなでやるぞー」
「俺たちはいけるぞ!」
「負けるわけがない!」
「がんばろー」
というふうに、団体のムードが盛り上がるのは悪くない。
しかし、それが実態をともなっていなかったとしたら…。
全員が本気で、志望校突破に向けて、ぎりぎりまでやれているんならいい。
- 「負ける恐怖」をごまかしたい
- 自分はぎりぎりまでやってないけど、そのことを忘れたい…
そんな時にも、勢いのいい言葉で、みんなとの一体感を得ようとしてないだろうか?
野球やバスケ、バレー、ソフト、サッカー、ラグビー、吹奏楽…を経験したことがある人は実感できると思うが、
個人としての力量を確立できた者が団結した時こそ、最高のパフォーマンスを発揮できる。
受験は団体戦だけど、
1人ひとりが個人になったとき、すなわち、家庭学習の時に「戦い抜ける力」が必要なんだ。
1人、素振りをした日々
1人、ランニングをした日々
1人、フリースローをしつづけた日々…
本当に勝つ力とは、地味で、丁寧で、地道で、謙虚なとりくみの中で作られる。
1人ひとりが、石を磨くようなとりくみを求められている。
受験勉強真っ只中の中3生に
「22時になったら、『あいつ、今頃がんばってるやろうなぁ』と、班の友だちのことを考えよう。そして『よ~し自分ももうひとがんばりするぞ』って心を奮い立たせよう」
なんてとりくみをすすめたことがあります。
LINE等ではなく、「思う」ところがポイントです(笑)
『学び合い』の考え方で授業を進めると、学校の授業中はともにがんばりあえます。
まさに「受験は団体戦だ」です。
でも、1人でやる家庭学習の時にも、友を思うことでがんばれるってこともあると思ったわけです。
個の力を高めるために、仲間のがんばりを思う。
私は、これも「受験は団体戦だ」と思います。