もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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「何にもなかった」ことをネタに、通信を書くと…「学校の働き方改革」や「先生のいじめ」につながります

 合唱コンクールが終わったら、新人戦、地域貢献活動、スマホ安全教室、防災訓練、修学旅行、生徒会改選、実力テスト、定期テスト…学校現場は息つく暇もないほど何かしらの行事に埋め尽くされています。

 毎月、似たようなものですね(T_T)

 それでも年に数回、「今日は何もない日だぁ」ってことがあります。

 今回紹介するのは、1992年、中3生を担任していた年の10月29日に発行した通信です。

 生活ノートに、ある子が「今日は何にもなかった」と書いてきました。よくありがちな日記かな?(^^)

 では「何にもなかった」ことをネタに通信を書くとしたら、あなただったらどうしますか?

何にもなかった平和な日

 うわさされていた地震はなかった。よかった、よかった

 関東における地震の原因の1つは、マグマの流れによるものだと、昔、聞いたことがある。

 マグマの流れによりプレート(地殻)が少しずつ日本の下にもぐりこみ、先端が耐えきれずピンッと跳ねたときの振動が「地震」になるらしい。

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当時は手書きの通信だったので、イラストも手描きです。矢印の先端が「ピンッ」となるところです

 記録1

 good morning everyone

 昨日は何もなかった平和な日だったので、書くことはありません。

 だから終わらせてもらいます。

 何もないような日に「変化」は始まっている。

 いろいろなものごとは、突然変化するように見えるけれど、その劇的な変化の前までに少しずつ、でもずーっと変化し続けている。地震がそうであるように。

 今は何にもないように見えるけれど、その下では確実に変わっている。

 このような自然の法則に学んで欲しい。

 新しい班になって、「実力アップ」、「仲間作り~本音が言い合える~」を目指せるはず(班編制委員会では、そういう視点でメンバーを決めたから)。

 合唱コンクールや体育祭やクラスマッチという特別な日に「変化」が起こるのでなく、何にもなかった平和な日にどんなことをやれたかが、来たるべき日の「大変化」をもたらす。

 目の前にある合唱コンクール、冬季実力テスト、約4ヶ月後にある受験…、自分たちの大変化を目指すのなら、ふだんの日々にこそ努力をしよう。

 

 今から見れば、まだこの頃は、行事がぎゅうぎゅう詰めではなかったのかもしれません。

 でも当時もバタバタしてて、1992年は通信を年に30号も発行できませんでした。この年、中3だった子(いや、今はいい歳の大人ですね 笑)が数人、読者になってくれてるので、この場を借りて謝ります。ごめんなさい<(_ _)>

 ちなみに今回紹介した通信の中の記録1は、読者になってる教え子の1人が書いたものです。憶えてるかな~。

 

 数年前、4月行事の数を数えたことがあります。出席日数15日ほどで行事が30以上。他の月もほとんど変わらない感じでした。

 雨後のタケノコのように、新たな「◯◯教育」という行事が、どんどん学校に入ってきます。「租税教室」「いのちの授業」「食育」「暴力団排除教育」「青少年のためのオーケストラ」…1つひとつの意図するものはそれぞれ大事なのですが…。

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雨後の竹の子 写真ACより

 昔の人は「一升徳利に二升は入らぬ」ということわざを残しました。

 まるでジグソーパズルを作るかのように行事を入れ込むことはできます。しかし、その多さに、1つひとつの行事の目標が見失われ、ただただ行事消化に追われているように感じます。

 また、1つひとつの行事の目標を見失っているだけでなく、日常に大切にすべきこと(私の場合は、生活ノートや班ノートへの赤ペン返事、学級通信書き。すなわち学級集団作り)を省略して、そしてそれが当たり前になってしまったり…そんな感じです。

 今回、紹介した通信に書いた「自分たちの大変化を目指すのなら、ふだんの日々にこそ努力をしよう」ができる現場、すなわち「ふだんの日」と言える日(何にもない日)に、子どものための努力ができる現場を求めたいですね。

 おお〜、これぞ学校の働き方改革

 そういう努力(子どもどうしをつなげるための努力)を積み上げてきた先生が先輩になったなら、若い先生に対して傷害や威力業務妨害(マスコミでは「先生のいじめ」と表現してますが、私は犯罪だと思ってるので)はしないはずです。