もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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心がきついとき②

 今日も気だるさMAXでしたが、そうそう休んでもいられないので出勤しました。

 娘が亡くなったのが夏の暑さが終わる時期だったので、戒名にお坊さんが「涼」という字を入れました。なのでこの時期は心がきつくなってしまいます。

 そこで昨日に引き続き、自分自身が元気になりそうな通信を選んで紹介します。

弱肉強食

 インターネットでドキッとするような質問を見かけました。

 自然界は弱肉強食なのに、人が弱者を税金で生かしているのはどうしてなのか
 今の人間社会は理にかなっていないのではないか。
 人権などの話で解答するのは今回は控えてほしい。

 あなただったらどう答えますか?


 入試や将来の入社試験の面接で
 「あなたは職場で周りの人と協力して働けますか?」
 「はい、中学時代以降、授業でも部活動でも行事でも仲間を誰1人見捨てるまいと意識して活動してきたつもりです。」
 「なるほど、すばらしいですね。ではなぜ人は協力しあわなければならないのですか?」
と問われたら何と答えますか?

 インターネットのページでベストアンサーに選ばれた解答は次のようなものでした。

 

 え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
 弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
 虎は兎(うさぎ)より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

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 自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です
 個体レベルでは、最終的に全ての個体が「食われ」ます
 全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
 個体間の寿命の違いは、自然界全体でみれば意味はありません
 ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです
 種レベルでは「適者生存」です
 この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
 「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
 (「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
 そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです
 必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
 多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、

 あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り
 「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです
 そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に食われようがどうしようが関係ないんです
 10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります
 「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります
 人間の生存戦略は、、、、「社会性」
 高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する ※互助…お互いに助け合うこと
 個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
 どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
 人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました
 生物の生存戦略としては大成功でしょう
        (中略)
 アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
 ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです
 その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです
 だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
 「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです
 我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンス生存戦略だということです

 

 インターネットの情報は全て正しいわけではありませんので、この解答が正しいかどうかはわかりません。
けれど質問者(質問を書き込んだ段階では「弱者の立場に立って物事を考える」ことはできてなさそうだった人)が、この解答を「ベストアンサー」に選んでくれて、私はホッとしました。

 

 もともと私はセルフイメージが高く、生まれ変わってもまた自分に生まれたいと思ってました。私のクラスだった人なら知ってると思います。私と一緒に仕事をした人なら知ってると思います。

 けれど今は違います。自信満々な時だったら、サラッと読み終わってしまうような通信も、今の私だったら「弱者」の立場としてしっかり読むことができています。

 そして、子どもの頃、いじめの対象になっていた頃の私も、「自信満々の自分」とはほど遠い存在でした。あの頃のことがあるから「弱者」の立場を我がことにできるんだと思います。

 悲しみも苦しみも「人生万事塞翁が馬」なのかなぁ。まだそうは思えませんが…(T_T)