「受験は団体戦だ」
という言葉は、一昨年(2018年)コマーシャルにもなっていたので、多くの人が知っているメジャーな言葉でしょう。
そのコマーシャルについては、すでにブログで紹介済みです ↓
さて、私がこの言葉を初めて知ったのは2010年度です。
えっ?
なぜそんなに細かい年数まで憶えてるのかって?
それはこんな通信を見つけたからです。
では、「3年7組学級記録 No.94」(2011年2月17日発行)を紹介します。
受験は…
一昔前までは
「受験は、みんながライバルだ」
と言われたりしてた。
僕なんかは、まさしくそう教えられながら育った世代だ。
確かに、実力を引き出すには、その人のがんばりが不可欠だ。
「隣のやつを蹴落とすぐらいの気力で勉強しろ」
って意味で
「みんながライバル」
という言葉が使われたわけだ。
Aくんは僕のクラスではなかったが、授業で数学を中2~中3と教えた生徒だ。
数学はまあまあ得意らしかったし、中2の頃はよく発表していた。
中3の秋頃から、彼は授業に集中しなくなった。
私語・まわりへのちょっかい・「おーおー真面目にやっとる」という冷やかし…。
クラス全体のムードも、自然とそうなっていった。
「受験に向けてもっと真剣になれ」
といろんな子に話をした。
もちろんAくんにも。
しかし彼は変わろうとはしなかった。
ある子と話しているとき
「Aは塾とかではバリバリ勉強しよるとよ」
と吐き捨てるように言った。
私語・ちょっかい…それにのっかっていい加減にする人たちもいたけど、
「一生懸命にやりたい」
と思ってる子の1人の言葉だった。
Aくんは志望校には合格できなかった。
考えてみれば当たり前のことだ。
そのクラスの中のライバルを蹴落とす作戦は、成功したかもしれない。
けれど他校のライバルたちは、家で勉強し、学校でも集中してがんばり続けたんだ。
Aくんは家で(塾で?)がんばったかもしれないが、学校にいる5~6時間を毎日無駄にし続けた。
秋からの6ヶ月、彼が無駄にした時間は
6ヶ月✕30日✕5時間=900時間
彼は、最後の最後まで変わろうとしなかった。
受験は甘くない。
努力の多い者が、志望校に合格できる。
お金とかかっこよさとか腕力とかで判断されるのではなく、
その人がどれだけ努力を積み上げ、自分の中に眠る実力をどれだけ引き出せたかで判断される。
僕は、◯◯◯中学校で初めて「受験は団体戦」という言葉を知った。
この言葉をもっと早く知っていれば…
Aくんのクラスでその話をしてやれていたら…
彼も、彼のクラスの人たちも違う未来が待っていたろうに。
「志望校に合格できたかどうか」
という未来だけでなく、
「大人になっても友だちでいれる」
という未来を作ってやれたって思うんだ。
目指す学校は違うとも、
「志望校合格」という同じ目標を持ち、
同じことを考え、
同じことに悩み、
同じ苦労をし、
同じくがんばる仲間がいる。
切磋琢磨できる仲間がいれば、君の力はもっともっと引き出せるんだ。
3の7はどうだろう?
以前紹介した「『学び合い』と「受験は団体戦だ」 - もへちゃん先生の学級通信」に書いたAさんの話と、今回出てきたAくんの話は同じものです。
当時、私は20代後半。
『学び合い』の考え方にまだ出会っていませんでした。
ただし、「受験は団体戦だ」という言葉は、別に『学び合い』の中だけで使われる言葉ではありません。
当時、知っていたら使っていたでしょう、その言葉通りの意味で。
しかし、今回の通信の中で『学び合い』の考え方での「受験は団体戦だ」を解説した部分がありました。
どこかわかりますか?
それは
「大人になっても友だちでいれる」という未来を作ってやれたって思うんだ。
の部分です。
私たち先生は、「子どもがその学校に在籍する3年間をどう過ごさせるか」を考えがちです。
私たち先生は、子どもたちが卒業してしまえば、それ以降、気にはなっても関わり続けることはまずありません。
だって、目の前には、新たな生徒がいるのですから。
せいぜい年賀状を書くくらいが関の山です。
『学び合い』の考え方では、その子の20年後30年後の幸せを考えます。
だから、私たち先生と子どもとのつながりを作るよりも、子どもと子どものつながりを作ることの方が重要なのです。
20年後30年後、その子がピンチの時、声をかけてくれる友だちがいることの方がずっとずっと大事なのです。
だから
「大人になっても友だちでいれる」
という未来を作ってやれなかった当時の私は未熟だったわけです。
あの時のもへちゃん組のみなさん、ごめんなさい<(_ _)>