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無言清掃に感じる不安

 8月3日~4日にあった「教室『学び合い』フォーラム全国大会in福岡」でパネラーだった苫野一徳さんのツイッター

教員養成セミナー』での連載がYahoo!ニュースに転載されました。もう何年も言い続けていることですが。そしていつも言ってますが、無言を強いる先生を批判したいのではなく、「慣習」を問い直す仕組を学校に組み込もうと言いたいのです。→なぜ「無言」で清掃・給食なのか?

https://twitter.com/ittokutomano/status/1167406891321810946

とありました。

 まだツイッターやインスタグラム、そしてここ、はてなブログの使い方がよくわかってない私ですが、私の勤務校でもやっている「無言清掃」に不安を感じているので、どうしても返事をしたくなって、「思考停止状態の国民を生み出したい誰かがいるのでしょうか?」吹き出しマークを押して書いてみました。

 さて、私の勤務校でも、いや、周りの学校のほとんどが「無言清掃」を取り入れています。年度当初の職員会議で「日本社会の中で、清掃中にしゃべっていけないところは寺か刑務所なのに、なぜ学校でとりくむのか」と意見を出しますが、スルーされるばかりです。

 そこで今日は、学校現場で多くとりくまれている「無言清掃」や「無言給食」「立ち止まり挨拶」「立腰」等、一見子どものためのように思えるとりくみがどんな若者を作り出しつつあるのかについて書いた通信を紹介します。

 

結露

 昨日は午前中雨だったせいか、床も壁も階段の手すりも結露でビチャビチャになりました。
 学校のような建物はどこも同じようで、ネットで検索してみると結露対策に工業用扇風機を使っている学校をみつけました。
 「なるほど~、空気の流れがあれば結露は発生しないもんなぁ」と思いましたが、これを○中に応用しようとしたら、扇風機が何十台も必要になりそうです。
 年に数回なので、我慢かな(^^)

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窓にも壁にも床にも結露

 ただ気になったことが1つ。
 結露でビチョビチョになった水分が、上靴の汚れを廊下の方に取り込み、床はかなり汚~くなっていました。
 清掃前の黙想ってふだん、何も気にしてませんでしたが、私は昨日のビチョビチョの床に座る気にはなりませんでした。白っぽいズボンだったのでなおさらでした。
 ビチョビチョでもルールを守ろうとする姿は「さすが○中生」と言えますが、なぜ「結露がひどい日は正座はしなくていい」というルールを生徒総会で提案しなかったんだろう?と思いました。
 みんなが困っていることを正しい手順をとって、解決してこその○中生であってほしいなぁ。

 同じようなことをパン受け取りの際に感じます。
 私たち副任は、お昼ご飯前、週替わりで「配膳室手伝い」「職員用牛乳運搬」「パン係指導」等をしています。
 4時間目が授業で数学係の人と話していたり、解けない問題について相談されたりしたらそれらの仕事に遅れます。
 パン係指導だったら、遅れたりするとパン箱が残っていたりするんです。
 「うわぁ○の○(クラス名)、パン箱、持って行っとらん!説教や!!」
 「パン箱を持って行くのがめんどくさい」って気もわからんではないのですが、「パン箱を持って行く」というルールにもそれなりの意味があると思うのです。
 なぜ生徒総会で生活の改善を求めないのでしょうか?
 パン箱を持って行くというルールに込められた思いを別の形で達成できれば、パン箱は置いていってもいいわけでしょ。
 こっそりパン箱を置いて、後から怒られるよりよっぽど建設的だと思うのです。
 なぜ折り合いをつけようとしないんだろう?

 3年生のあなたたちに問題提起しても、もう○中の生徒総会に参加できないからなぁ…。

 あなたたちとこれからの○中を考えていけないのがとても残念ですが、あなたたち自身、これから高校や大学、仕事に就いた時に「どうせ言っても変わらんもん」「黙って従っとけば何も問題ないやん」とあきらめてほしくはないです。理由はこんな調査結果を知ったからです。

 今から5年前に内閣府が行った「今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」という調査の1つが下の図です。
 日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査です。

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内閣府はこの結果を問題視しています

 内閣府はこの調査から「諸外国と比べて,自己を肯定的に捉えている者の割合が低い。」と結論づけました。

 「自分は価値のある人間だと思う」を自己肯定感と言います。
 自己肯定感が低いと「どうせ出来ない」とやる前に決めつけてしまったり、他人と自分をすぐに比較したりすると言われています。

 原因はなんだろうとネットを検索していると、
 「社会に適合するように、平均的な人間を育成する日本の教育が、自己肯定感を下げる原因になっていることがある。」
とありました。

 が~ん!!!教育が原因とは~(T_T)
 さらに記事は次のように続いていました。
 「日本の教育現場では、学年が上がるごとに『常識』や『規則』を守るものが評価され、決められた枠組みからはみ出す人は評価されない。」
 私はこれらを読んで、規則をよりよいものにしていく行為そのものは、「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」トレーニングとなり、いずれは自己肯定感を高める行為になりうると思ったのです。

 ここで勘違いしてほしくないのですが、「学校にお菓子を持ってきていいようにしたい」みたいなルールと「結露がひどい日は正座をしなくていいようにしたい」というのは、全く違うレベルの要求です。
 前者は「学校という公の場を、私的な場と混同している単なるわがまま」ですが、後者は「自分も含めてまわりのみんなが困っていることを解決したいという思い」です。

 あっ、結露に関してもう一つ、不思議に思った事がありました。
 あなた、もしや水分でビチャビチャの床を「水拭き」しませんでしたか?
 清掃後、水分と汚れともに拭き取られたクラスがありました。けれど床がビチャビチャのままのクラスもありました。
 あんなにビチャビチャの日は「乾拭き」の方が効果絶大です。水分と共に汚れが乾拭きのぞうきんにびっしり付きます。
 「水拭きする」ってのがルールなのかなぁ…。でも、清掃の目的ってその場を綺麗にすることですよねぇ。ならば結露の日は乾拭きでしょ~。
 もし「水拭きする」がルールなら、それを生徒総会等で変えようとする人であってほしいです。
 何も考えず「いつも水拭きだから」「水拭きがルールだから」という思考停止状態の人、ヤバいですよ。
 私はネットの情報が全て正しいとは思っていません。しかし、結露の日に水拭きしてしまう人がいる現状を見て、「自己肯定感」の記事についてはけっこう当たっているなぁと思わざるを得ませんでした(T_T)

 

 

 通信には載せませんでしたが、結露がひどかったあの日、清掃中にたまたま通りかかった前生徒会長に「もうすぐ生徒総会やろ?3年は出られないけど『結露がひどい日は正座はしなくていい』って修正案を出すように後輩にアドバイスしてやれよ」と話しかけました。

 彼はさわやかな笑顔で「大丈夫です」と返してきました。私はびっくりしてしまいました。心の中で「ええっ、何が大丈夫なの?我慢できますってこと??」

 無言清掃、立ち止まり挨拶、立腰…様々なとりくみは一見よさそうに思えますが、思考停止状態の青年を育てているように思えてなりません。教育業界では、よかれと思ってとりくんでいる先生方が多いようですが…。

 

 「べつに選挙に行かなくていいんじゃん。どうせ政治なんて関係ないし」

 「べつに憲法が変わってもいいんじゃん。戦争なんてないでしょ」

 「べつに政治家が問題発言したり、忖度したり、知人や奥さんを儲けさせても、遠い世界のことだし、関係ないじゃん。ノリのいい人とか話が面白ければいいんじゃない」

 そしてついには「NHKから国民を守る党、ウケる」って若者の登場。「戦争で領土を取り戻せ」という青年政治家の登場なのかもしれません(T_T) 

 

 通信に載せた「今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」は内閣府のホームページで見ることができます。

https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html

 

 最後に谷川俊太郎さんの詩「生きる」を紹介します。

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはミニスカート
  それはプラネタリウム
  それはヨハン・シュトラウス
  それはピカソ
  それはアルプス
  すべての美しいものに出会うということ
  そして
  かくされた悪を注意深くこばむこと

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詩人 谷川俊太郎さん