もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

もへちゃん先生の学級通信はhttps;./.moheblo.comに引っ越しました

「かわいそう」「私だったら耐えられない」をこえるためのキーワード…「人ごとから我がことへ」

 前回のブログで、他校の子が書いた人権作文を紹介しました ↓

moheji.hatenadiary.jp

 事故で歩けなくなったイトコのお姉ちゃんについて書いた作文でした。

 そしてブログを読んでくださってるみなさんに

「あなたが、もし作文の中のお姉ちゃんだったらどんな気持ちを持つと思いますか?立ち止まって、考えてみてください

と投げかけました。

 今回紹介する通信には、この作文の全文を載せました。

 さあ、あなたは「イトコのお姉ちゃんはどんな思いを持っていた」と考えましたか?

 では「学級記録 No.63」(2006年2月10日発行)を紹介します。

かわいそう

車イスの人はかわいそう?

 私にはイトコがたくさんいます。

 母方と父方、 両方合わせると8人。

 私と妹も入れると10人です。

 でも、 その中の一人に足が動かないお姉ちゃんがいます。

 お姉ちゃんの足が動かなくなったのは私が5歳の時。

 いねむり運転でつっこんできた車にまきこまれたのです。

 大きな事故だったそうで、 お姉ちゃんは重体で病院に運ばれました。

 お姉ちゃんの事についてお医者さんは、

「足の神経がやられています。 歩く事は難しいでしょう」

と、 言っていたそうです。

 それからお姉ちゃんは、4年間の入院生活の後、 事故のせいでまったく力の入らない手に筋肉をつけるためのリハビリ生活3年を過ごしました。

 入院中のお姉ちゃんの頭には薬のせいで髪の毛が無かったり、 病院特有の薬の臭いが染み付いていたりしました。

 私は、 お姉ちゃんはとてもかわいそうな人なんだろうと思うようになっていました。

 車イス生活をよぎなくされたお姉ちゃんは、 今までの家だと暮らしづらくなったので、 新しくバリアフリーの家を建てることになりました。

 玄関からベランダまですべて段差がなく、 ドアも力のないお姉ちゃんでも楽に開くように造られていました。

 中でもお姉ちゃんの部屋には色々な機械が設置されていました。

「お姉ちゃんの住みやすい家で良かったね」

「うん。 でもちょっと住みやすすぎるかな」

「えっ、 どうして?住みやすい方がいいでしょ?」

「そうね。 でも、 私は自分の足で歩けるようになりたいの。 ここは住みやすいけど、 私を甘やかしてるようにも見えない?」

と言ってお姉ちゃんは笑いました。

「でも、 お医者さんは歩くのは難しいって言ってたじゃん」

「 『難しい』 でしょ?100%歩けませんって言われてるんじゃないの。 まだ希望はあるのよ。 紗希ちゃんはプラス思考って知ってる?」

「えっ ・ ・ ・ 知らないけど ・ ・ ・ 」

「なんでも良い方に考えるってこと。 反対に何でも悪い方に考える事を、 マイナス思考って言うの」

「へーっ。 でも、 それがどうしたの?」

「紗希ちゃんは、 私のこと、 かわいそうって思ってるでしょ。 そう思ってくれるのはうれしいよ。 私の事心配してくれてるんだよね」

と言って、 ニコッと笑った。

「でも私はかわいそうじゃないよ。 むしろこんな経験あってもいいと思うよ」

「どうしてそう思うの ・ ・ ・!?」

「こんな時こそプラス思考よ。 ほら、 足が動かなくてもすごいことをしてる人いっぱいいるじゃない。 私もああなるって思ってたら、 こんなの何とも思わなくなったよ」

と言いながら、 足をぺしぺしたたいたお姉ちゃんに私は、

「お姉ちゃんは、 とても強い人なんだね」

「違うよ。 悪い方を良い方に変えるのが上手なだけよ」

とお姉ちゃんはテレながら言った。

 私は頭の中がこんがらがって頭をかかえてしまいました。

「ははっ難しかった?例えばさ、 テストで良い点がとれたらごほうびをくれるっていうのをイヤな言い方にすると、 顔の前にえさをぶらさげて走る。 良い言い方にすると、 目標を持つ」

「ぜんぜん違うーっ」

「でしょ?言い方を変えただけでやる気がでるでしょ。 だから私は良い方に考えるようにしてるの」

「だから足が動かなくても平気なんだ。 じゃあかわいそうって思うのは違うの?」

「悪い事ではないけどね」

「そしたら今って幸せ?」

「そりゃもちろん!」

 そう言って笑ったお姉ちゃんは本当に幸せそうで、 いつか私もお姉ちゃんみたいになりたいと思いました。

 私はどんなに悲しいことがあっても、 プラス思考で良い方向へ持っていける強さを持とうと思います。

 そしてお姉ちゃんのようにこのことを周りの人々にも伝えてあげられたらいいなと思っています。

f:id:toshioh:20200216193218j:plain

syuniさんによるイラストACからのイラスト


 この作文の題名を見てドキッとした。

 「しょうがい」を持っている人が身近にいない人にとって、自然に湧く感情…それが「かわいそう」であるからだ。

 他にも、「私がその立場だったら耐えられない」という正直な感想に出会ったことがある。

 

 作文の中頃に

「かわいそうって思ってるでしょ。 私の事心配してくれてるんだよね」

ってある。

 そうなんだ、悪意なんてないから「かわいそう」って思えるんだ。

 けれどもお姉ちゃんは

「でも私はかわいそうじゃないよ」

と答え、

「今って幸せ?」

という問いには

「そりゃもちろん!」

と笑いながら話してくれてる。

 

 同じ「人権作文集」の中の「優しい世の中」という題名の作文には

「障害は不便である。しかし不幸ではない」

という文章があった。

 

 心配して「かわいそう」と思うのではなく、

心配して「何かできること、あります?」

って声をかける人になりたいものだ。

 「不幸」ではなく「不便」に思っているのだから。

 

 私が人権教育や道徳等で大切にしているキーワード

「知る」→「感じる」→「行動する」

については、このブログで何度も語ってきました。

 

 今回、紹介した人権作文から問いたいのは、

もう一つの大切にしてるキーワード

「人ごとから我がことへ」

 すなわち、感じ方が「人ごと」なのか「我がこと」なのかってことです。

 

 「かわいそう」とか「私だったら耐えられない」という感想は、人権学習後にありがちな感想です。

 しかし私は、そういう感想を聞いたり読んだりすると「人ごと」だなぁと感じるのです。

 

 人権学習や道徳等の授業では、被差別の方の思いを、見たり聞いたりします。

 それを子どもが「人ごとでとらえてるなぁ」と感じる時

「知る」→「感じる」→「行動する」の

「感じる」の部分を獲得させてあげられなかった(T_T)

と、自らの実践の足りなさを思い知ります。

 

 キーワードは「人ごとから我がことへ」

 

 ではどうするか?

 私は普段から子どもたちに何度も何度も「人ごとから我がことへ」の大切さを、その言葉を使って伝えています。

 通信でも、口頭でも…。

 いろんな場面で…。

 「我がこと」として感じ、「行動」できた先輩たちの話もたくさんします。

 「かっこいいよなぁ」って話しながら(^o^)