新型コロナウィルスの「水際対策」は限界…というか破綻したようです。
今後どうなっていくのか、不安です(T_T)
さて、前々回のブログの最後に、チャーター機第1便帰国者の方が「差別されるんじゃないか」と心配されていたことを書きました ↓
人類は、過去何度も「感染症と差別」を克服してきた歴史を持っています。
医学的な克服は、きっと医学界の方々が果たしてくれるはずです。
差別や偏見を克服するのは、私たち自身です。
そこで今回は、人権作文集について書いた通信「学級記録 No.62」(2006年2月9日発行)を紹介します。
人権作文集から
筑紫区の人権作文集が学校に届いた。
1学期の終わり頃に「人権作文」を書いたことを憶えているだろうか。
人権作文集をパラパラとめくり、
- まずは、1の4の人が選ばれてないかなぁ
- 次に、1年生全体で誰か選ばれてないかなぁ
- さらに、◯中で誰か選ばれてないかなぁ…
そう読み進んだところで、別の中学校の生徒の作文にハタと目がとまった。
それはこんな書き出しで始まる作文だった。
私にはイトコがたくさんいます。
母方と父方、両方合わせると8人。私と妹も入れると10人です。
でも、その中の1人に足が動かないお姉ちゃんがいます。
お姉ちゃんの足が動かなくなったのは、私が5歳の時。
いねむり運転でつっこんできた車にまきこまれたのです。
大きな事故だったそうで、お姉ちゃんは重体で病院に運ばれました。
お姉ちゃんのことについてお医者さんは
「足の神経がやられています。歩くことは難しいでしょう」
と言ったそうです。
それからのお姉ちゃんは、4年間の入院生活の後、事故のせいでまったく力の入らない手に筋肉をつけるためのリハビリ生活3年を過ごしました。
入院中のお姉ちゃんの頭には薬のせいで髪がなかったり、
病院特有の薬の臭いが染みついていました。
(後略)
「踏まれた足の痛さは、踏まれた者にしかわからない」
という言葉を聞いたことがあるだろうか。
「イジメや『しょうがい』者差別など、やられる側の本当のきつさ・つらさは、やった側にはわからない」
という意味で使われる。
そのとおりだと思う。
けれども、きつさ・つらさの全てを共感できなくとも、半分くらいは、いや3/4くらいは、いや99%までは理解できるのではないだろうか。
「相手の立場に立って考える」ことを繰り返すことで、そうなれるって僕は思っている。
その人とたくさん時間を共有して(たくさん一緒にいて)、たくさん話して、たくさん行動を共にしたら、踏まれた者の痛みの多くを理解できると思っている。
人間には想像力がある。
それを磨くために国語や美術、音楽の授業があるんだ。
今までの経験で物事を直感的に判断する(好きとか、嫌いとか、快いとか、何となく嫌だとか)のではなく、
物事の裏に潜んでる事実を見抜いた上で判断できるようになるために、数学や国語があるんだ。
人権作文の中のお姉ちゃんの立場に立って考えてみよう。
君がもしそんな立場だったら、どう思うだろう。
お姉ちゃんは本当はどう思っていたか、人権作文集で確かめてみよう。
この通信を出した後、学級文庫の一冊として、人権作文集を置きました。
通信を読んで気になった子は、読んでました。
あなたが、もし作文の中のお姉ちゃんだったらどんな気持ちを持つと思いますか?
立ち止まって、考えてみてください。
それが、私が大切にしている人権教育のためのキーワード
「知る」→「感じる」→「行動する」
の中の
「感じる」への第1歩です。
次回のブログで、お姉ちゃんがどう思ってたかをお知らせします。
お楽しみに〜(^^)/