過去の通信をパラパラめくって、秋には、合唱コンクールについて書いた通信がけっこう多かったことに気づきました。
それ以外は無いのかなぁとさらに探すと…見つけました!「読書の秋」
前回に引き続き、1992年、中学3年生の担任をしていた頃の通信です。
読み直してみて、中3生には難しい内容だったかなぁと感じました。なぜなら今の私(50代)自身が「そのとおりだなぁ」としみじみ感じたからです。
でも時を隔てて今、このブログを通して、読み直してくれているあの頃の子たち(30代後半?…もう「子」ではないですね 笑)が何人かいるので、紹介する意味があるのかな?
ということで、1992年10月8日の通信を紹介します。
読書の秋
最近、小説を持っている人が多い。図書室も今週から開館している。まさに読書の秋だ。
僕が今、読んでいる本の中に、進路に悩む君たちに見せたいものがあった。
1人の人間が生涯にやれることは1つのことです。
いろいろのことを器用にやってのけるように見える人でも、1つのことをさまざまの形でやっているのです。
1つのことすらやりおおせないで朽ちていく私たちが、あまりに多いではありませんか。
才能とか素質とかいわれるものの大小、高低にすこしばかりのちがいはあろうと、どんな人にだってその人でなければやれない仕事、その人にこそふさわしい仕事が、この地上に1つは必ず残されています。
それに気づくことが出発点です。
その発見は鮮明な表現をとるより、「何となくそうしたい」とか「ひそかにねがう」とか、ごくつつましい形であらわれることが多いようです。
ですから、道は決まっています。
なんとしてもやりたいと自分で思うこと、どうしても自分がやらなければならないと思うこと、それを万難とたたかってもやりなさい。
それがあなたの仕事です。
雨だれも続けば、石にだって穴をあける。
そんなことで楽観すれば、穴が指一本はいるにすぎない寸法であることに悲観する。
そういう観察は、穴にボウフラをわかせるだけである。
楽観と悲観をつきぬけるには、雨でないもの、石でないもの、すなわち燃えるものが必要である。
小さな穴であろうと、そこに火薬をつめることだ。
生きるための戦具はそのようにしてつくられ、そのようにすれば石をだって、ボウフラをひねりつぶすようにとび散らせることができる。
美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。
詞集 たいまつⅠ むのたけじ 評論社 より
ちょっとむずかしいかもしれない。
あなたは、意味がはっきりとわかりましたか?
これで悩みが解決するわけではないけれど、勇気がもらえるといいね。
この頃、日本全国の学校の多くはまだ「荒れ」ていました。
このブログを読んでくださっている若い方には学校の「荒れ」といってもイメージが湧かないかもしれません。そんな方は、TVドラマ「金八先生第2シリーズ」や、漫画「ビックマグナム黒岩先生」がおすすめです。いや、「ビックマグナム黒岩先生」は誇張しすぎかな(笑)。でも読んで楽しい漫画です。
別に話がそれたのではありません。通信の1行目に「図書室も今週から開館している。」とあるのは、「荒れ」た学校で図書室がぐちゃぐちゃになっていたのを、数年かけて図書委員たちが整理し続けて、この年の秋、開館にこぎつけたことを意味しています。
さて、通信内で紹介した文章は、むのたけじさん著「詞集 たいまつⅠ」の引用です。
ひょうたん水筒作り(収穫の秋、学校で収穫したひょうたんを◯◯にしてみよう - もへちゃん先生の学級通信)で、私の書く学級通信は広島の八ッ塚実さんに影響受けていることを書きました。
仲間とともに広島の八ッ塚先生を訪ねていろんなお話を聞かせていただいたときに八ッ塚さんから「私は、むのたけじさんの『詞集 たいまつ』に大きな影響を受けています」と教えてもらいました。
「詞集 たいまつⅠ」から引用した、通信の1番目の詞を読んで、しみじみと自分の今の仕事のことを思いました。私がやり通した1つのことって何だろうって。
「反戦平和」「反差別」かなぁ?
えっ、「2つじゃないか」って?そうですねぇ…(^_^;)
「戦争は最大の差別である」という言葉があることを考えれば、「反差別」に集約されるのかもしれません。
2番目の「雨だれも続けば、石にだって穴をあける。…」は、中3に対しての通信によく書く文章です。
3番目の「美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。」は、プロフィールにあるように、私の座右の銘の1つになっています。気がついた方、いらっしゃるかな?