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中村哲さんから、平和憲法のもとでの国際貢献のありようを学ぶ

 日本ペシャワール会現地代表の中村哲さんが医療支援をしていた2000年、アフガニスタンで大干ばつが起こりました。

 それ以前から紛争が絶えない場所だった上に、水がないために作物が実らず、難民が大量に発生。逃げた先でもきれいな水はなく、汚い水を飲むしかない。さらに食べ物も少なく栄養状態も悪い。そんな中で赤痢や腸チフスにかかる難民たちを目の当たりにして、中村哲さんは「飢えと渇きは抗生物質で治せない」という思いを強めていきました。

 以降、医療支援だけでなく、用水路作りにも携わり、枯れた大地に小麦畑を蘇らせ、200万人の雇用を生み出しました。

 そんな中村哲さんに対して、東京新聞は社説で「平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった」と書きました。

 

 さて、中村哲さんがアフガニスタンで医療と用水路作りにとりくんでいた2001年、「9.11アメリ同時多発テロ」が起こりました。

 その後、アメリカと有志連合の国々が報復として、アフガニスタン紛争、イラク戦争を行いました。

 

 中村哲さんのやり方とは真逆に世界が進んでいきました。

 

 その中で日本はどうしたか…中学3年生にとっては難しい内容になってしまった2018年9月11日の通信を紹介します。

 

人権の世紀

 あなたたちが生まれるずっと前、1994年12月に国連総会で「1995年~2004年までの10年間」を「人権教育のための国連10年」とすることが決議されました。
 もちろん日本政府も、人権豊かな社会を求めて行動を起こしました。

 そのための国のとりくみの元として「地域改善対策協議会意見具申」という政治の世界の文章があります。難しいと思いますが、大事なことが書かれていますので、がんばって読んでみてください。

 

「今世紀、人類は、二度にわたる世界大戦の惨禍(さんか)を経験し、平和が如何(いか)にかけがえのないものであるかを学んだ。
※惨禍…天災・人災などによる、むごたらしくいたましい災難

しかし、世界の人々の平和への願いにもかかわらず、冷戦構造の崩壊後も、依然として各地で地域紛争が多発し、多くの犠牲者を出している。
※冷戦構造…第二次世界大戦後の世界を二つに分けた「アメリカを中心とする国々」と「ソ連(現在のロシア)を中心とする国々」の対立構造
※崩壊…くずれこわれること
※地域紛争…今、この時も、世界のどこかで「紛争」という名の戦争があっている。戦後73年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち8カ国しかない。日本はその1つ      

紛争の背景は一概には言えないが、人種、民族間の対立や偏見、そして差別の存在が大きな原因の一つであると思われる。
※一概…一般的に

こうした中で、人類は、『平和のないところに人権は存在し得ない』、『人権のないところに平和は存在し得ない』という大きな教訓を得た。

今や、人権の尊重が平和の基礎であるということが世界の共通認識になりつつある。
このような意味において、21世紀は『人権の世紀』と呼ぶことができよう。

我が国は、国際社会の一員として、国際人権規約をはじめとする人権に関する多くの条約に加入している。
懸案となっていた『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』(人種差別撤廃条約)にも加入した。
※懸案…問題とされながらまだ解決がつかない問題
※撤廃…今まで行われて来た制度・法などを取りやめること

世界の平和を願う我が国が、世界各国との連携・協力の下に、全ての人の人権が尊重され、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の重要な一員として、その役割を積極的に果たしていくことは、『人権の世紀』である21世紀に向けた我が国の枢要(すうよう)な責務というべきである。」
※枢要…物事を動かす中心になる一番大切な所、かなめ
※責務…責任と義務

 

 意味、だいたいわかりましたか?

 

 私が好きな部分は

「人類は、『平和のないところに人権は存在し得ない』、『人権のないところに平和は存在し得ない』という大きな教訓を得た。」

というところです。

 「戦争は最大の差別である」と言う言葉を私はよく使いますが、日本政府の中にも同じ考えの人がいるんだと、この文章を読んでホッとします。

 このように、21世紀は「人権の世紀」になるはずでした。

 ところが、21世紀になったばっかりの2001年の今日9月11日、世界的な「人権の世紀」ムードを吹き飛ばしてしまう事件が起こりました。
 「9.11アメリ同時多発テロ」です。
 飛行機が乗っ取られ、乗客もろとも超高層ビルに突っ込みました。
 私はこの日の朝、起きて、テレビのスイッチを入れて、映ったニュースにびっくりしました。

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 映画じゃないのかと疑いましたが、本当の出来事でした。たくさんの人が亡くなりました。 全世界にももちろん衝撃が走りました。

 その後、アメリカ合衆国と有志連合の国々は報復としてアフガニスタン紛争、イラク戦争を行いました。

 暴力が暴力を生んだのです。戦争・紛争がさらに戦争・紛争を生んだのです。

 実は、アメリ同時多発テロの原因も人種、民族間の対立や偏見、そして差別の存在だと分析する人もいます。
 「戦争は最大の差別」なのです。

 地域改善対策協議会意見具申の中でも「地域紛争」について説明しましたが、今、この時も、世界のどこかで「紛争」という名の戦争があっています。
 今、そう、この学年だよりミニをあなたが読んでいる今、現在もです。

 戦後73年間戦争をしなかったのは、国連加盟193カ国のうち8カ国しかありません。
 アイスランドフィンランドスウェーデンノルウェーデンマーク、スイス、ブータン、. 日本の8カ国です。
 アジアには日本とブータンしかありませんでした。
 ちなみにブータンは、国民の幸福度が世界一高い国だそうです。テレビや新聞で『幸せの国』と表されたりもしました。うらやましいです。差別とかもないんだろうな~

 日本が戦争をしなかった最大の理由は、73年前に終わった太平洋戦争での悲しみ、苦しみがあまりに大きかったからです。
 8月には戦争に関するドキュメンタリー番組がたくさんありました。そのほとんどに「戦争なんて絶対に嫌だ」という爺ちゃん、婆ちゃんたちが出て涙ながらに訴えていました。
 みんなは「勉強まつり」で見られなかったのかなぁ。
 ならば、学年だよりミニでこれからも少しずつ紹介していきますね。

 

 ヤフーニュースでは、アフガニスタンの復興に尽力した中村さんの突然の訃報に対しての現地の人々からのコメントが紹介されました。

  • アフガニスタンでは中村さんのことを『中村おじさん』と呼んで慕っていました。長年アフガニスタン復興のために貢献してくれていました。しかしその命が奪われてしまいました。英雄として天国で穏やかに過ごせるよう祈っています」
  • アフガニスタンのために尽くしてくれた中村さんの命を奪った人は、例え誰であろうと我々の敵です。人はいずれ、亡くなるものですが、彼は我々アフガニスタン国民の心の中に永遠に生き続けています」
  • 「先進国の日本から来てくださり、砂漠だったこの地球を緑豊かな果樹園や美しい公園にかえてくれた。中村さんの命が我が国で奪われてしまったことは、非常に残念でなりません。我々を許してください。と口にできない程、悲しみに溢れています」

 さて、今回紹介した通信にあった地域改善対策協議会意見具申には

世界の平和を願う我が国が、世界各国との連携・協力の下に、全ての人の人権が尊重され、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の重要な一員として、その役割を積極的に果たしていくことは、『人権の世紀』である21世紀に向けた我が国の枢要(すうよう)な責務というべきである。」

という一文があります。

    この一文を「武器でなく、水路作りをする」ことで、具現化したのが中村哲さんだったのではないかと私は思います。

 そして「武器ではなく、水路作りする」ことで、他国の国民から信頼されることを、私たちは中村哲医師から教えられました。

 中村哲さんのとりくみが、日本国憲法のもとでの国際貢献のありようを体現したものであるというのは、「武器でなく、相手のことを思い、相手の立場に立ち、行動する」ことだと私は思います。

 だからこそ、中村哲さんが亡くなったことが残念で残念でなりません。

 そして、アフガンの人のほとんどが私と同じ思いであると信じたいです。

 

 もう1つ、アフガニスタン中村哲さんが体現した平和憲法が、ここ日本では、なし崩しにされつつあるように私は感じています。

 今こそ、中村方式の国際貢献(=平和憲法を元にした国際貢献)の素晴らしさを再認識することで、現日本国憲法の素晴らしさをかみしめたいです。