もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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生き方を学ぶ

 昨日は予定を変更して「釜石の奇跡」について書いた通信を紹介しました。通信の中で「学校は『生き方』を学ぶところ」と書いていました。

 一夜明けてテレビでは台風19号の爪痕のニュースがあっています。亡くなった方や行方不明の方もいらっしゃるし、浸水で今夜も、いやしばらく避難所生活を余儀なくされる方も数多くいらっしゃいます。

 そこで今回のブログも予定を変更して「子どもたちにすすめたい歌シリーズ④」ではなく、「学校は『生き方』を学ぶところ」の意味を書いた2011年の通信を紹介します。

避難訓練

 5月7日金曜日、中間考査終了後の6校時に避難訓練を行う予定でしたが、あいにくの雨のため延期になりました。そこで急遽担任の先生から帰りの会で避難経路の説明がありました。きちんと理解できたでしょうか?
 東日本大震災でたくさんの犠牲者が出たことを受けて、万が一地震があった場合に備える為の訓練でした。

 学校とは「生きる力」を身につけに来る所です。ここでいう「生きる力」とは、その力で将来暮らしていける、生きていける、そんな力のことです。

 例えばそれは「学力」だったり、「運動能力」だったり、「指導力」だったり、「忍耐力」だったり、いろいろです。
 だから学校で命を落とすことはあってはならないのです。だって「生きる力」をつけに来ているんだから。だからこそ避難訓練もあるわけです。
 時々ニュースとかで「いじめを苦に自殺」なんてあったりしますが、これもあってはならないことです。学校とは「生きる力」を身につける所なのですから。
 ○○中学校に避難訓練があったり、人権を大切にしようとするムードがあるのはすべて君たちの「生きる力」を育てるためなのです。

 

産経新聞2011/3/29・5/3の記事より

 「早く高台に避難してください」津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた後、行方不明になっていた女性の遺体が発見された。津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員、遠藤未希さん(24)。命を救われた町民や避難住民は、最後まで職務を全うした未希さんの死を悼んだ。
 大震災のあった3月11日、未希さんは防災対策庁舎の2階で放送していた。「6メートルの津波が来ます。避難してください」冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返された。海岸にいた両親にもその声は届いた。
 庁舎に残った職員約30人のうち、助かったのは10人。高台の高校に避難した人からも波にさらわれる職員の姿が見えた。

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津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。遠藤未希さんは2階から放送で避難を呼び掛けていた

 未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。介護の仕事に就くことを考えていたが、両親の希望を聞き入れ、町職員を選んだ。
 昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。景勝地・松島のホテルを早々と予約。昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。そう約束していた。
 未希さんの母親の美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。最後の方は声が震えていたという。「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」
 町は人口約1万7千人。約8千人の所在が分からず、被害の全容はまだ把握できていない。それでも避難所へ逃げた女性(64)は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれたのだから」と思いやった。「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」と父親の清喜さんは涙ぐんだ。
「未来の未に、希望の希」美恵子さんは娘の名前をそう説明した。壊滅した町には新しい電柱が立ち、がれきの間に道が通るようになった。少しずつだが、未来に向けて動き始めている。

 

 僕たちが生きている今日は、死んだ人たちが生きたかった今日。

 

 このたびの台風19号で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

 悲しみにくれているご家族の皆様、悲しみが癒えるのには時間がかかりますが、私たちが生きている「今、この時間」は、亡くなった方が生きたかった「今、この時間」のはずです。大切に生きましょう。私もそう思いながら今を生きています。