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1月17日…阪神淡路大震災 25年前、子どもたちはどう感じたか

 前回のブログ

1月17日…阪神淡路大震災 あれから25年。発展したこと、停滞したままのこと - もへちゃん先生の学級通信

に対して、サクラさんから

「あの大災害を思い起こすたびにあの惨状が脳裏に蘇る私です」

というコメントをいただきました。

 ありがとうございます<(_ _)>

 

 それに対して私は

「1月17日が来たら、学校だけでなく、様々な場所で、自分のできる範囲で、阪神淡路大震災のことを語る役目が、年配者にはあるのだと思います。そんな日のことを『節目の日』と私は言ってます」

と返しました。

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Wikipediaより引用

 先生でいる間は、節目の日の1つである「1月17日」のことを目の前の子どもたちに語り続けようと思っていましたが、ブログという新たなツールを手に入れたので、パソコンに向かえる間はずーっと語り続けられますね(^^)

 そこで今回は、25年前、阪神淡路大震災を知った子どもたちがどう感じていたかについて書いた通信(「学級記録No.44」1995年1月20日発行)を紹介します。

兵庫県南部地震…自分の考え

 

記録41

 ついに4000人もの死者が出てしまった。

 地震がおこる前に知ることができる機械があれば…

 

記録42

 この前、朝起きてテレビを見たら、大阪で大きな地震があったと言っていた。

 その日は死者が約100名もいて、なんてこったと思った。

 しかし帰ってくると、200、…500、…800、…1000人とどんどん増えて、どこのテレビでも地震のニュースがあっていた。

 僕の親戚は大阪の豊中にいる。神戸からも意外と近い。

 お母さんたちが電話をしたが、こっちからはなかなかかからなかったので、向こうからかかってくるのを待った。

 そしてかかってきた。

 その親戚は「大丈夫だ」と言っていた。

 しかし、話によると、ドアが勢いよく開いたり、コップなどが落ちて割れたりしたと聞いた。

 僕は改めて地震の怖さを知り、自然のすごさにおどろき、人間の無力さを痛感した。

(本当だね~。何かできることでもあれば…と思うね。日頃の防災対策を考えなくっちゃ…かな? 保護者から)

 

記録43

 父が今日、あの神戸に行くことになった。

 地震のため、銀行のオンラインが壊れてしまったからである。

 元気に帰ってくるのを祈ってます。

(今の私たちには、電気・水道・ガス、どれ1つ止まっても生活できないということがよくわかりました。 保護者から)

記録44

(次の日の連絡帳)

 今頃、父は何をしているのだろうか?

 火事は大丈夫だろうか?

 ニュースがとても気になる1日だった。

(いろんな人たちの知恵を出し合い、がんばっていることでしょう。匙を投げるわけには、いかないのですから。 保護者から)

 

記録45

 今日、募金で「お札」を入れてくれた人が多かった。

 他の人もたくさんいれてくれた。

 

記録46

 私は、地震で災害を受けた人に、できるだけ何かをしてあげたいと思った。

 それに、被害を受けた人にも…

 

 今、僕たちができることは、大きく分けて2つある。

 1つは、死者の冥福を祈ること。

 もう1つは、生き残って避難してる24万人以上の人を支えること。

 前者は「心」であり、後者は「行動」である。

 

 子どもたちは素直です。

 だから「可哀想」だとか「私だったら耐えられない」という感想を口にしがちです。

 でもそれで終わるだけの人間になってほしくないと私は思います。

 

 「可哀想」や「私だったら耐えられない」という感想は、「他人事」です。

 

 「人ごと」ではなく「我がこと」として考えられる人になって欲しいし、

 我がこととして考える(「知って」「感じる」)だけで終わらず、「行動する」人になって欲しい。

 もちろん私自身もそうであり続けたいと思っています。