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中村哲さんを偲び、「行動できる本当の勇気」を思う

 本日(2019年12月4日)、ペシャワール会現地代表の中村 哲医師が亡くなりました。

 以前、人権週間で催された講演でお話を聞いたことがありました。

 難民の医療活動だけでなく、用水路の建設を自ら重機に乗って行われていました。用水路で水を引けば、農地がよみがえり、難民が戻ってきて、生活ができるからです。

 私の憧れる、まさに「行動」の人でした。残念です。とても残念です。

 ご冥福をお祈りします。

 

 中村 哲医師のことを通信に書いたことあったっけ?と考えながら、パラパラと数年分の通信をめくってみましたが…見つけられませんでした。見つけた時点で書きますね<(_ _)>

 

 中村 哲さんではないけれど、「紛争があっている所や、貧困で苦しんでいる地域で、井戸を掘っている方のことを最近書いたぞ」と思い、探してみたら…。

 あったのですが、すでにこのブログで紹介していました。(ドクター X 風に言えば「私、同じ通信を紹介する失敗を3度は、しないので」)

 この記事です。

moheji.hatenadiary.jp

 井戸の部分を簡単にふりかえりますね。

 上の通信では、2018年のACジャパンのSave the Childrenのコマーシャルを取り上げ、「エチオピアのアイシャが、水くみに費やす時間は1日8時間。朝早くから夕方近くまで、炎天下の砂漠を一日中歩いて、家族のために水をくんでいる」ことを伝えました。そして、日本の多くの井戸掘りのプロたちが、水不足で苦しむ世界中のいろんな地域へと赴き、井戸を掘っていることも伝えました。

 「行動」する方たちの話でした。

 

 そこで今回は「行動すること=本当の勇気」について書いた2006年2月15日の通信を紹介します。

本当の勇気

 CAP(Child Assault Prevention=子どもへの暴力防止プログラム)のワークショップを2日間、のべ4時間受けた。

 そのうちの3時間を後ろから見せてもらった。

 「男らしさとは?」の問いに「勇気ある人」という答えが出た時、僕は「青い目の人形」のことを思い出した。

 

 1927(昭和2)年4月に、当時悪化しつつあるアメリカと日本の関係を、なんとかいい方向に向けられないかと考えた人々が、いろんな人と協力して、約13000体の人形を日本全国の小学校や幼稚園に贈った。

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青い目の人形 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 その後、1941(昭和16)年12月10日、日本はイギリス、アメリカと戦争を始めた。いくつもの国を敵に回し、戦争は拡がる一方だった。

 1943(昭和18)年には、新聞に

青い目をした人形、憎い敵(かたき)は許さんぞ

という記事が出た。

 文部省の役人も「そうすることは、当たり前だろう」という談話を発表した。

 

 人形たちは、竹やりで突き刺された。

 あるものは、火で焼かれた。

 あるものは、石をぶつけられた。

 あるものは、水に沈められた。

 

 贈られた時の歓迎ぶりも、その後の子どもたちが人形をとてもとても大切にしてきたことも、国の命令の前では無力だった。

 

 けれども、「人形には何にも罪はない。これでは人形がかわいそうだ」と、見つかったらひどく罰せられることを承知の上で、隠した人がいたのだ。

 学校に見回りに来た兵隊から、隠し場所付近を探され、生きた心地がしなかったが、なんとか切り抜けた人がいたのだ。

 

 ただの人形まで、目の敵(かたき)として、国民を戦争へ駆り立てようとした、当時の狂った世の中。

 人形を隠すということは、そんな世の中と対決することでもあった。

 

 静かな、しかし命をもかけたこの行為に、僕は「勇気」という言葉を感じる。

 

 約13000体贈られた人形で、現在(2006年の時点)残っているのは286体のみ。福岡県では3体だ。

 

 ケンカに強いとか、大声で相手をビビらせるとか、高いところに登れるとか…そういうのを「勇気」とはいわない。

 あえていうなら「蛮勇」だ。

 

 勇気を出して、人形を守った人の多くは女性だったという。

 

 自分には力がないから、「行動する」なんてできないと、子どもたちも、そして私も思いがちです。

 そんな自分を戒める意味で2006年「青い人形」の話を、通信に書きました。

 そして、2019年、このブログに書くことで、中村 哲さんのような、行動できる本当の勇気を持てる気がして…