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コスモスおじいさん(1986/09/18の学級通信より)

 

8月13日のブログで1986年6月11日の学級通信を紹介しました。

生徒の4行日記(実際は14行でしたが)から「その老人は、毎日と言っていいほど私たちが通る道の横を、草刈りをし、花を植えて花道にしてくれるのです…」という記録を取り上げました。

それから3ヶ月後、そのじいちゃんのことが新聞に載りました。

もちろん学級通信に書きました。

 

そこで今日は、1986年9月18日、中学2年生の子たちに書いた通信を紹介します。

宗像市の岡部さん 11年も市道清掃 コスモス街道つくる

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コスモスおじいさんの記事


61年度の「道路を守る月間」で、宗像市田熊の薬局経営、岡部住雄さん(76)が、建設大臣表彰を受けることが決まった。岡部さんは11年前からほとんど毎朝、近くの市道を散歩の途中、空き缶やゴミを拾ったり、道路沿いにコスモスやヒマワリを植えるなど奉仕を続けている“さわやかおじいさん”。建設大臣表彰が決まったと聞いて「自分の精神衛生上、楽しみでやっているのに表彰まで受けるなんて、幸せすぎます」とびっくりしている。

 岡部さんの“早起き奉仕”が始まったのは、11年前、同市内に住む二男の光さん(45)=福岡大薬学部助教授=が「老後の健康に農園でも」と、自宅から1キロほどのところに約500平方メートルの土地をプレゼントしたのがきっかけ。岡部さんはここを“健康農園”と名付けて、毎朝3時頃起床、1人で開墾し、4年がかりで立派な菜園につくり上げた。歩いて往復の途中、ゴミや空き缶の散乱で道路が汚れているのに心を痛め、拾い始めたのが日課になってしまった。

 そのうち自宅裏を流れる八並川の土手の草を刈ったり、ゴミを焼いてできた肥料でコスモスを栽培、5年ほど前から健康農園までの道沿いや川の土手にコスモスやヒマワリを植え始め、今では延べ8キロにわたって“コスモス街道”が出来上がった。

 クリスチャンでもある岡部さんは「人にほめられたいと始めたことじゃない。これまで生きてきたお礼のつもりです」と言う。でも早朝、空き缶拾いしている時、小学生たちに「おじいちゃん、おはよう」と声を掛けられた時には「魂が踊るほどうれしい」そうだ。(中略)

 大雨や病気などで出られない時は、一日中寂しい思いをするという。「体が元気なうちは感謝の気持ちで続けたい。天国へ行って、天国の花園をきれいにする予行演習ですよ」

 表彰状は19日、県庁で岡部さんに伝達される。

 

 覚えているだろうか?このおじいさんのこと。

 フリーウェイ28号(このころの学級通信の名前が「中央フリーウェイ」でした)「灯は小さくてもいつも暖かい」の記録75で出てきてコスモスおじいさんです。

 11年も続けてきたんだね。君が2才か3才のときからです。

 暖かい心がつくったコスモス街道、もうすぐ咲く頃だ。

 「人にほめられたいと始めたことじゃない。これまで生きてきたお礼のつもりです」って記事にはある。君たちに「生きてきたお礼で何かしろ」というのはちょっと早すぎる。でも、ほめられる・ほめられないを別にして、優しい心、人を思いやる心を持てる人間になってほしい。今の人類が失いつつあるのは、この心ではないだろうか。

 空き缶を投げ捨てるのも、ゴミを見つけて知らぬふりすることも、そうじをさぼりぎみの人も、そりゃ自分はいいかもしれない。楽ができる。しかしそんなにしてつくる「楽」は、思いやりの心を持つ人間に育つためには、実は損なのだ。

 おじいさんのような笑顔を、そんな人間には作れないし、「魂が踊るほどうれしい」経験もないでしょう。

 もしかしたら2の1の中にも、おじいさんの魂を踊らせた人がいたのかも

 

 

 当時は手書きの通信だったので、ブログで紹介するには改めてパソコンで打たねばなりません。また、1986年の新聞記事もネット検索しても出てきませんでした。楽できるかと思ったのになぁ。

 けれど一文字一文字打ち込むことで、33年前のことが思い出されて、楽しかったです。

 コスモスじいちゃんみたいに、私自身もそろそろ、生きてきたお礼として何かしなくちゃなぁ。