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2019平和宣言

 昨日に引き続き、盆明けに同僚に配るおみやげ通信の裏面を作成しました。

 書きたいことの半分くらいしか書けませんでした。

 でも紙面は限られてるからねぇ(T_T)

 書けなかったことは、私自身の中で咀嚼して、別の形(平和劇のシナリオとか、組合の情宣誌とか、日常の会話の中とか…)で表出させようと思います。

 

 そこで今日は、おみやげ通信の裏面の記事を紹介します。

 

2019平和宣言

 私が毎年のように長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典に参加するのは、暑い暑い中で、蝉の声と遠くに鳴るサイレンを聞きながら、喪服姿のじいちゃん婆ちゃんたちの中に座り、長崎市長さんが語られる平和宣言を聴くのが1つの理由です。

 今年の平和宣言はことさらに心に訴えかけました。

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今年の平和宣言は心に響きました

 目を閉じて聴いてください

 幾千の人の手足がふきとび
 腸わたが流れ出て
 人の体にうじ虫がわいた
 息ある者は肉親をさがしもとめて
 死がいを見つけ そして焼いた
 人間を焼く煙が立ちのぼり
 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
 ケロイドだけを残してやっと戦争が終った
 だけど……
 父も母も もういない
 兄も妹ももどってはこない
 人は忘れやすく弱いものだから
 あやまちをくり返す
 だけど……
 このことだけは忘れてはならない
 このことだけはくり返してはならない
 どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。
     (中略)
 世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
     (中略)
 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
 平和のためにできることはたくさんあります。
あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。
 そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 

○中でとりくんだ核兵器廃絶署名300筆

 私は長崎市長の平和宣言を聞いて、昨年度、○中で集まった核兵器廃絶署名300筆のことを思いました。
 署名活動に取り組んだ実行委員長の○○さんをはじめ、○○さん、○○さん、○○さん、○○さん、○○さん、○○さん、○○さん、○○さん、○○さんのことを思いました。
 彼ら彼女らのとりくみこそが長崎市長の田上さんが言われた「小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました」「私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです」の具現化されたものなんだなと思いました。
 あの300筆の署名は、高校生10000人署名活動で集められた署名と合わせて、8/18~8/23にスイス・ジュネーブの国連欧州本部などに高校生平和大使によって届けられます。

もてもて?

 今年の長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典では、やたらと声をかけられました。
 まずは外国人のご夫婦から身振り手振りで「Tシャツを写真に撮らせてくれ」と。9条Tシャツを着てました。
 続いて時事通信社の記者、そして「我孫子市中学生長崎派遣団」の中学生からインタビュー。
 最後は金属探知機(笑)

 

 我孫子市中学生長崎派遣団の中学生からは、「ホームページに載せたいから写真とインタビューに協力して欲しい」と言われました。

 「なぜここに来たのですか」と聞かれたので、「被爆者の方の思いをこの日、この場で感じて、その思いを、今教えてる中学生に伝えたいから来ました」と答えました。

 「我孫子市中学生長崎派遣団」で検索してみましたが、まだ私のことは載ってないみたいでした。ちょくちょくチェックしようっと(^^)