もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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灯は小さくてもいつも暖かい(1986年6月11日の通信より)

やっとお盆休み。学校の仕事も組合の仕事もお休みです(^^)

時間があったので、このブログを書く材料探しに、手書き時代の学級通信を本棚から出して読みました。

そこで今日は、1986年6月11日、中学2年生の子たちに書いた通信を紹介します。

灯は小さくてもいつも暖かい

記録74
友だちのうちからの帰りに泣いている子がいたから、どうしたか聞いたら、お姉ちゃんがいなくて迷子だって言うから、私はえらい子だから、親を探してあげた。

もしこんな場面に君がいたらどうしますか?やっぱり探してあげる人もいるでしょう。
中には「ン~」と頭をひねる人もいるかもしれない。まわりに人がたくさんいるときなら「僕がしなくても、誰かが声をかけてあげるはず」と思うかもしれない。ものすごく急用な時は気にしながらも通り過ぎるかもしれない。

でも、自分のことだけでなく、相手のことを考えられたとき、迷子の心を思いやれたとき、悲しさを感じ取れたとき、人は優しくなれる。

自分のことだけに目を向けるのではなく、人の心に目を向けよう。君たちの心の中にある優しさが正常に動き出す。

僕は小さい頃、迷子になった記憶がある。デパートの中で、誰も声をかけてくれなかったし、泣くこともしなかった。でも心の中では半分泣いていたように思う。母が言うには5回も6回も放送してもらったそうだが、僕に聞こえたのは1回だけ。悲しさで放送も聞こえなかったんだと今でも思ってる。

悲しさでいっぱいの子を思いやれた記録74の人に心から拍手を送りたい。とともに、みんなも「恥ずかしい」とか「誰かがするよ」って自分だけの考えでなく、相手のことを考えられる人間に育て!

記録75
今日、朝、学校に行ってたんです。そして横を振り向くとひげのはえた80~90才くらいの老人がいたのです。あぜ道を自転車に乗り、草を刈る道具など思い物を乗せて…。
その老人は、毎日と言っていいほど私たちが通る道の横を、草刈りをし、花を植えきれいな花道にしてくれるのです。
汗だくだくに、一生懸命それをしている老人は若々しく見えました。とってもすごい。若い。
私たちでもふうふう言ってすぐあきらめる草刈りを、あきらめずにきれいにしています。
今、私たちはその道を通っています。春になればきれいなコスモスが、夏になればヒマワリがきれいに咲くことでしょう。

 

 「灯は小さくてもいつも暖かい」という言葉は、作家の倉本聰さんの言葉です。僕はこの言葉に君たちの心を見るのです。

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ドラマ「北の国から」に込めた思い

君たちは人間としてまだまだ完成されてません。今が成長段階です。でも灯は小さくてもいつも暖かいように、君たちの心も暖かいのです。
周りの人を暖める力を十分に持っているのです。一生を通じておこなっている記録75のおじいさんが持っている心の暖かさも、君たちが持つ暖かさも同じものです。

 

 

学級通信を出すときは、子どもたちが書いてきた4行日記なんかを「記録○○」として紹介していました。「記録74」とは紹介した記録の74番目ってことです。

しかし、昔の文章を読むのは恥ずかしいもんですね(^_^;) 文体は不一致だし、「僕」を使ってるし、上から目線だし…。

恥ずかしいけど、このときの読者(クラスの生徒…現在47~48才)が、ブログ見てくれてたら嬉しいなぁ