もへちゃん先生の学級通信の資料置き場

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学級初日に配る通信②…谷川俊太郎さんの詩「生きる」バージョン

 3月2日からの臨時休校要請に伴い、

従来の「過去の通信を紹介する」パターンではなく、

「お休みしてる子たちへの通信」(=プチ・精神と時の部屋シリーズ)というスタイルでブログを書いています。

 

 でも土・日・祝日くらいは従来のパターンに戻っちゃおうということで、

前回の通信から「学級初日に配る通信」を紹介し始めました。

 今回は、その第2弾!

 では、3年7組学級記録 No.1(2010年4月6日発行)を紹介します。

生きる

生きる

             谷川俊太郎

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

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キイロイトリさんによる写真ACからの写真

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

    (略)

 いよいよ中学生になった。

「最高学年だ」

「あと1年で卒業だ」

 まわりの人は、さまざまな思いを込めて君に話しかけるだろう。

 しかし、特別な1年だろうが、春夏秋冬は巡り来る。

 この自然のくり返しは変わらない。

 

 ぼくらの生き方にしても、ひたむきに生きなければならないことに変わりはない。

 前へ進まねばならないことに変わりはない。

 

「中学3年なんだから」

と、何度耳にしようと、口に出そうと

突然「すごい自分」には変われない。

 

 その力は、日々の生活を通して作り出すんだ。

 中3の日々のスタートだ。

 

 谷川俊太郎さんの「生きる」という詩は、私のお気に入りの1つです。

 でも詩の全文は今回紹介したものの5倍ほどの量です。

 全文が知りたい方はこちらへどうぞ ↓

moheji.hatenadiary.jp

 1年生の時や2年生の時にもへちゃん組だった子なら、学級通信を読むのに慣れていますが、初めての子もいるのです。

 最初のうちは、読みやすい通信であるべきと私は考えます。

 だから初日はこれくらいでいいのです(^^)

 それにしても文字数が少ない通信ですよね。

 なぜかというと、B4の紙面を人数分の人型でぐるりと囲んで クラスの子の名前を書いているから、文章を書くスペースが少ないのです ↓

moheji.hatenadiary.jp

 でもこれで、読みやすくて、誰と一緒のクラスになったのかがわかる第1号のできあがりです(^o^)

学級初日に配る通信①…八ッ塚実さんを偲ぶ

 土日祝日は、「プチ・精神と時の部屋(臨時休校中の子どもたちに届ける通信)」はお休みして、通常のブログ「過去の通信の紹介」に戻しています。

 

 さて、私の住んでいる地域は、臨時休校が続きます。

 そして、臨時休校のまま、春休みに突入します。

 あなたの住まれている所はいかがでしょうか?

 そうなると、始業式、入学式はどうなるのかな〜?

 一応、臨時休校が続く限り「プチ・精神と時の部屋」を書こうと思っていますが…。

 そうなると、「新学期すぐにどんな通信を書いたか」みたいな話をなかなか書けないので、少々フライング気味ですが、土日祝日に紹介していこうと思います。

 

 その第1弾として、3年3組学級記録 No.1(1992年4月7日発行)を紹介します。

すべてのことを「かがやき」…に

すべてのことを「かがやき」に

               八ッ塚 実

 墨汁が、床にこぼれたら

「よごれた!」という。

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墨素材さんによるイラストACからのイラスト

 絵の具が、壁にとび散ったら

「よごした!」という。

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はむぱんさんによる写真ACからの写真

 同じ墨汁を使って、白い半紙に文字を書く。

「美しい!」という。

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HelloさんによるイラストACからのイラスト

 同じ絵の具で、カンバスに絵を描く。

「すばらしい!」という

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TkPpさんによる写真ACからの写真

 同じ墨汁が、

 よごれにもなり、美しい作品も生み出す。

 

 同じ絵の具が、

 よごれにもなり、すばらしい作品を生み出す。

 

 墨汁や絵の具で、

 よごれを作るのか、かがやく作品にするのか。

 

 それは、すべて自分できめる。

「かがやき」にするか、しないか。

 

 墨汁や絵の具の作品だけではない。

 同じことは、私たちの「生き方」でもいえる。

 

 毎日の生活では、誰もが似たようなことをしている。

 人間が生きるために使う「材料」は、ほぼ共通している。

 

 同じようなことをやりながら、

「生き方」は、1人ひとりみなちがう。

 

 自分の生活のあとを、

「よごれ」や「シミ」にすることがある。

 

 自分の生活のあとを、

「かがやき」にすることもできる。

 

 ぼくらは、弱いし、まだまだ未熟だ。

 だから、ついつい「生活のあと」を、よごしやすい。

 

 同じことなら、

「かがやき」に!

 

 1分でも長く、

「かがやき」をのばしたい。

 

 1回でも多く、

「かがやき」をつくりたい。

 

 君の「かがやき」は、何でつくる?

 あなたの求める「かがやき」は何ですか?

 

 今年1年…それを求め続けよう。 

 

 お気づきでしょうか?

 この通信は、八ッ塚実さんの詩だけで、私のコメントは一切ありません。

 それだけ、当時の私は、八ッ塚実さんの「学級記録」に傾倒していたのです。

 

 八ッ塚先生は、広島県で中学校の先生をされていました。

 先生になって2年目か3年目だった私は、八ッ塚先生の「復刻 学級記録」赤・緑・黄の3冊の分厚い本を手に入れて、何度も何度も読み返しました。

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復刻 学級記録 第1集、第2集、第3集

「八ッ塚先生のクラスの子どもは幸せで、私のクラスの子どもは不幸せだ。」

 「八ッ塚先生のような通信を書くにはどうしたらいいのだろう?」

 前回のブログで「学級通信は、人の真似をしてもうまくいかない」と書きましたが、この頃の私の失敗が元です(^^;)

 

 あるとき、仲間数人と広島へ八ッ塚先生を訪ねたことがありました。

 八ッ塚先生は当時50代前半、いや40代だったかもしれません。

 いろいろ話していると、八ッ塚先生も「詞集 たいまつ」(むのたけじ著、評論社刊)に影響を受けたという話をききました。

 広島行きから帰ってきて、さっそく購入しました(笑)

 

「文章を真似するのではなく、しっかり読んで自分のものにして、1度自分の身体の中に入れてから自分の言葉で表現しなさい。そうすれば、それは真似ではなく、あなたの言葉なのだから」

とも教えてもらいました。

「八ッ塚先生のクラスの子どもは幸せで、私のクラスの子は不幸せだ。けれど八ッ塚先生の今の年齢より前に、八ッ塚先生を超える先生になろう」

と考えました。

 

 八ッ塚先生は、60歳前に「お母さんの介護をする」ということで退職され、その後、尾道短期大学の講師をされました。

 仲間と「また八ッ塚先生のところに行きたいね」と言いつつも、私自身が地区外へ異動したり、当時の勤務してた学校の事情等で忙しくしていて、実現できないうちに、急逝されてしまいました。

 

 現在、私は50代後半、

当時の八ッ塚先生の年齢はとっくに超えてしまいましたが、超えたのは年齢だけです(T_T)