この記事は
https://moheblo.com/blog/lets-analyze-it-by-oneself/
に引っ越しました。
前回、前々回のブログで、受験生への「雨だれ、石を穿つ」=「継続は力なり」を超えるアドバイス「コツコツとりくんで、できた穴に火薬をつめて爆破しよう」を書いた通信を紹介しました。
私が書いた「火薬をつめて爆破する」を一言で表すと、
「『コツコツ勉強する』っていう漠然としているイメージを、『1日6時間、土日はさらに多く勉強して月に200時間、勉強する』というかなり過激だけど具体的なイメージに変えろ」ってことでした。
これは私自身が経験した受験勉強にプラスして、今までのもへちゃん学級の子たちの受験勉強から生まれた経験則です。
しかし、前回の紹介した通信の最後に「火薬をつめて爆破させることなく志望校に楽々通ったBさん」が登場しました。
そこで今回は、そのBさんの秘密について書いた2018年1月12日の学年通信を紹介します。
先生をしていても生徒に教えられる事ってある。前号で紹介したBさんはその一人だ。
「1日6時間受験勉強をして、6時間睡眠をとる」
これが、いわゆる「逆転一発型」の僕自身の受験勉強スタイルだった。
Bさんは「私はそんなことすると次の日、ボーッとなるから」とそれまでのペースを変えずに、無理することなく普段のペースで勉強し続け、志望校に見事合格した。
なぜ彼女は無理せず志望校に合格できたのだろう?
理由は簡単、Bさんは「コツコツ型」だったのだ。
中学に入ってからの彼女しか知らないけれど、1年生の頃から彼女は、毎日、自学ノートをビッチリと書いていた。ゴールデンウィークもお盆もお正月も。
1~2年生の頃は自学ノートと授業の復習を毎日2時間、きっちりとりくんでいたそうだ。
合計は①+②で、2820時間
一方、逆転一発型の人(僕も含めて)は、9月から真剣にとりくんだとしても
勉強してきた時間数はBさんは倍以上。努力は裏切らないってわけだ。
自分自身が「逆転一発型」で人生の試練を乗り越えてきた僕は、「コツコツ型」の底力を身にしみて感じた。
残念なことに、僕がBさんに出会い、コツコツ型の底力を知ったのは大人になってからだから、大学受験の頃の若かった僕は、この時も「逆転一発型」でとりくんでしまった(笑)。
高1~高3夏前まで、バレーボールしかしてなかったから、中学時代よりも逆転はむずかしかった。
部活で体力だけはあった僕は、睡眠時間を削って勉強時間を確保する方法しかなかった。
1日3時間しか寝なかった。この間は布団に寝たことがなかった。それを9月から3月まで続けてやっと間に合った。
ただしこの方法はお薦めしません。健康を力一杯損ないます!インフルエンザでもかかれば一発アウトだし…。
ちなみにBさんは高校でもコツコツ型でとりくんだそうだ。そして高3の1月早々にに志望大学に合格し、2月~3月は自動車免許を取りに行っていたとのこと。
コツコツ型、恐るべし!
以前「テスト直前 - もへちゃん先生の学級通信」で紹介した東大生のツィツター
1000時間勉強して将来の年収が100万円上がる場合、勉強の時給は100万円×40年÷1000時間=時給4万円になるよ。
— 河野玄斗(こうのげんと) (@gengen_36) October 1, 2016
なんでみんなそんなに勉強しないの?
では「1000時間」という具体的な数が書かれていました。
今回の通信を書く際に計算してみた、私をはじめとする「逆転一発型」の勉強時間(9月~3月初旬)は、
東大生・河野玄斗さんのツィツターにぴったり合います!
私自身、この1140時間の勉強がなければ、志望高校に合格できてなかったと思います。そしたら、学力もそうですが、私に影響を与えてくれた先輩たちや友人にも出会えず、また山より高いセルフイメージも手に入らなかっただろうなぁ。
そう考えると、きっと今の仕事にはついてなくて、年収は今より100万円以上低いことが予想されます。
ほらね、「火薬をつめて爆破する」=「勉強 大爆発」は有効でしょ(^^)
しかしBさんの勉強時間を計算してみて、びっくり。同じくらいかと思ってましたが2倍以上の勉強時間でした。
やはり「継続は力なり」が最強なんだなぁ。
「雨だれ、石を穿つ」は「継続は力なり」を表す素敵な言葉です。
が、人によって努力の量が違います。
どういうことかというと、それまであまり勉強した経験が無い子にとっては1日1~2時間の勉強を継続できていたら、その子は満足してしまうかもしれません。
でもそれじゃ足りないと私は思っています。だから「雨だれ」とは違うもののイメージを、秋以降くらいからは、受験生には持たせてやりたいのです。
そのことについて中3生に書いた2018年1月11日の通信を紹介します。
3学年だよりミニ13号で「残りの日々がわずかになった今こそ、雨ではないものが必要だ。」と書いた。では「雨でないもの」、「火薬」に相当するものとはいったい何だろう。
僕は「勉強をやってやってやりまくること」だと思っている。今までの君の人生の中で最も頑張るのが今の時期であるべきだ。
僕自身が中3生だった頃、この時期は毎日6時間、勉強していた。中3の秋まで真剣に受験勉強にとりくまなかった僕にとって、それでも間に合うかどうかわからなかったけれど…。
結局、僕は志望校に合格できた。その経験を、過去、中3生を担任した時の生徒たちには伝えてきた。
「6時間くらいやるのが受験勉強だ。そして睡眠時間も6時間とれ。インフルエンザや風邪といった感染症にかからないために睡眠時間は必要だ。」
Aさんという生徒がいた。見事に志望校合格を勝ち取った生徒だ。Aさんの勉強時間は月に200時間を越えていた。
6時間✕30日=180時間だから「200時間を越えるなんて」とびっくりした。
僕自身の経験では、1日6時間以上するためには睡眠時間を削らなければならない。Aさんが月に200時間を越えたってことは、睡眠時間を削ったに違いないと思った。
そこで
「A、おまえ、かなり無理したろう?」
と聞くと彼はニヤリと笑いながらこう答えた。
「ちゃんと6時間、睡眠時間、とったよ。でも先生、土日があるやん」
Aさんだけでなく、月に200時間を越える人たちは全体の1/3くらいいた。その人たちのほとんどは志望校に通った。
一方、Bさんという人は、23時頃には寝て7時に起きるというそれまでのペースを崩すことはしなかった。「睡眠時間を削るとボーッとなるから」と言っていた。しかし彼女も志望校に通った。それはなぜか?
ああ、もう紙面がない。次号のお楽しみですな(笑)
前回のブログで紹介した通信も今回の通信もB5片面サイズの通信でした。
なので、紙面の関係で「次号のお楽しみ」みたいになってしまうわけです(^^)
「学級通信をなかなか書けない」という方には、このB5片面がお勧めです。画像を何枚か入れると、あっという間に出来上がります。
私は通信を書くことに負担感を感じません。そのわけの1つは「通信には、たくさんの話題を詰め込まない」ことにしているからです。
このブログでも何度か紹介してきた広島の八ッ塚実さんから「ネタは小刻みに」と教えてもらったからです。
よって、Bさんの秘密については…「次回のお楽しみ」です(^^)/
11月になりました。中3生の担任をしていると、多くの子が自らの進路に真剣に向き合うようになってきます。
通信でも後押しするには、前々回のブログ「読書の秋…私のお勧めは、「ビックマグナム黒岩先生」…よりは、むのたけじさんの「たいまつ」かな(^^) - もへちゃん先生の学級通信」で紹介した「雨だれも続けば、石にだって穴をあける。そんなことで楽観すれば、穴が指一本はいるにすぎない寸法であることに悲観する…」を使います。
「たいまつ」の原文をそのまま紹介するのもいいのですが(前々回のブログで紹介した通信はそうでした)、自分自身の言葉になおして語るのもいいものです。
そこで今回は、2018年1月10日、中3生に対して発行した学年通信を紹介します。
2018年がスタートした。そして今日は冬休み課題テストだった。
2018年は、君の人生にとって、試練の年だ。
そして卒業式 3月9日(金)まで、あと58日
雨だれも続けば石に穴を開けることができる。継続は力なりってやつだ。
しかしこれが君の試練突破にあてはまるだろうか。
「雨だれ、石を穿つ」=「努力を続けてきたから」と安心していたら、指が通るくらいのその穴の小ささを知った時、「こんなんじゃダメだ」とがっかりする。指が通っても身体が通らなければ、「突破」はできない。
「今までしたことがないくらいコツコツがんばってきたから、努力は報われるはずだ」…そんな楽観的な考えが通らないから「人生の試練」なんだ。
残りの日々がわずかになった今こそ、雨ではないものが必要だ。どんな小さな穴であろうと、そこに火薬をつめることだ。2017年の間に続けてきた「受験勉強」という努力でできた「石の穴」に火薬をつめて、石そのものを爆破しよう。自分自身の進路を自分の力で突破しよう。
残された日々をそれにあてよう。
まずは「私立入試 全員合格!」を目指して、2018年をスタートしよう。
紹介した通信は1月に発行したものですが、本来なら「コツコツ継続するだけじゃダメだ。火薬をつめろ」ってアドバイスは1月では遅いと思います。この年は個人的にいろいろあったので、こんな遅い時期にこの通信を書く羽目になってしまいました。
では「雨だれ、石を穿つ」を越える「火薬」とはいったい何か?
次回、乞うご期待!
この記事は
https://moheblo.com/blog/halloween-and-democracy/
に引っ越しました。
図を見ればわかりますが、内閣府は「社会問題への関与や自身の社会参加について,日本の若者の意識は諸外国と比べて,相対的に低い」と分析しました。
一方で社会規範について調べた結果は
過去の通信をパラパラめくって、秋には、合唱コンクールについて書いた通信がけっこう多かったことに気づきました。
それ以外は無いのかなぁとさらに探すと…見つけました!「読書の秋」
前回に引き続き、1992年、中学3年生の担任をしていた頃の通信です。
読み直してみて、中3生には難しい内容だったかなぁと感じました。なぜなら今の私(50代)自身が「そのとおりだなぁ」としみじみ感じたからです。
でも時を隔てて今、このブログを通して、読み直してくれているあの頃の子たち(30代後半?…もう「子」ではないですね 笑)が何人かいるので、紹介する意味があるのかな?
ということで、1992年10月8日の通信を紹介します。
最近、小説を持っている人が多い。図書室も今週から開館している。まさに読書の秋だ。
僕が今、読んでいる本の中に、進路に悩む君たちに見せたいものがあった。
1人の人間が生涯にやれることは1つのことです。
いろいろのことを器用にやってのけるように見える人でも、1つのことをさまざまの形でやっているのです。
1つのことすらやりおおせないで朽ちていく私たちが、あまりに多いではありませんか。
才能とか素質とかいわれるものの大小、高低にすこしばかりのちがいはあろうと、どんな人にだってその人でなければやれない仕事、その人にこそふさわしい仕事が、この地上に1つは必ず残されています。
それに気づくことが出発点です。
その発見は鮮明な表現をとるより、「何となくそうしたい」とか「ひそかにねがう」とか、ごくつつましい形であらわれることが多いようです。
ですから、道は決まっています。
なんとしてもやりたいと自分で思うこと、どうしても自分がやらなければならないと思うこと、それを万難とたたかってもやりなさい。
それがあなたの仕事です。
雨だれも続けば、石にだって穴をあける。
そんなことで楽観すれば、穴が指一本はいるにすぎない寸法であることに悲観する。
そういう観察は、穴にボウフラをわかせるだけである。
楽観と悲観をつきぬけるには、雨でないもの、石でないもの、すなわち燃えるものが必要である。
小さな穴であろうと、そこに火薬をつめることだ。
生きるための戦具はそのようにしてつくられ、そのようにすれば石をだって、ボウフラをひねりつぶすようにとび散らせることができる。
美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。
詞集 たいまつⅠ むのたけじ 評論社 より
ちょっとむずかしいかもしれない。
あなたは、意味がはっきりとわかりましたか?
これで悩みが解決するわけではないけれど、勇気がもらえるといいね。
この頃、日本全国の学校の多くはまだ「荒れ」ていました。
このブログを読んでくださっている若い方には学校の「荒れ」といってもイメージが湧かないかもしれません。そんな方は、TVドラマ「金八先生第2シリーズ」や、漫画「ビックマグナム黒岩先生」がおすすめです。いや、「ビックマグナム黒岩先生」は誇張しすぎかな(笑)。でも読んで楽しい漫画です。
別に話がそれたのではありません。通信の1行目に「図書室も今週から開館している。」とあるのは、「荒れ」た学校で図書室がぐちゃぐちゃになっていたのを、数年かけて図書委員たちが整理し続けて、この年の秋、開館にこぎつけたことを意味しています。
さて、通信内で紹介した文章は、むのたけじさん著「詞集 たいまつⅠ」の引用です。
ひょうたん水筒作り(収穫の秋、学校で収穫したひょうたんを◯◯にしてみよう - もへちゃん先生の学級通信)で、私の書く学級通信は広島の八ッ塚実さんに影響受けていることを書きました。
仲間とともに広島の八ッ塚先生を訪ねていろんなお話を聞かせていただいたときに八ッ塚さんから「私は、むのたけじさんの『詞集 たいまつ』に大きな影響を受けています」と教えてもらいました。
「詞集 たいまつⅠ」から引用した、通信の1番目の詞を読んで、しみじみと自分の今の仕事のことを思いました。私がやり通した1つのことって何だろうって。
「反戦平和」「反差別」かなぁ?
えっ、「2つじゃないか」って?そうですねぇ…(^_^;)
「戦争は最大の差別である」という言葉があることを考えれば、「反差別」に集約されるのかもしれません。
2番目の「雨だれも続けば、石にだって穴をあける。…」は、中3に対しての通信によく書く文章です。
3番目の「美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。」は、プロフィールにあるように、私の座右の銘の1つになっています。気がついた方、いらっしゃるかな?
合唱コンクールが終わったら、新人戦、地域貢献活動、スマホ安全教室、防災訓練、修学旅行、生徒会改選、実力テスト、定期テスト…学校現場は息つく暇もないほど何かしらの行事に埋め尽くされています。
毎月、似たようなものですね(T_T)
それでも年に数回、「今日は何もない日だぁ」ってことがあります。
今回紹介するのは、1992年、中3生を担任していた年の10月29日に発行した通信です。
生活ノートに、ある子が「今日は何にもなかった」と書いてきました。よくありがちな日記かな?(^^)
では「何にもなかった」ことをネタに通信を書くとしたら、あなただったらどうしますか?
うわさされていた地震はなかった。よかった、よかった
関東における地震の原因の1つは、マグマの流れによるものだと、昔、聞いたことがある。
マグマの流れによりプレート(地殻)が少しずつ日本の下にもぐりこみ、先端が耐えきれずピンッと跳ねたときの振動が「地震」になるらしい。
記録1
good morning everyone
昨日は何もなかった平和な日だったので、書くことはありません。
だから終わらせてもらいます。
何もないような日に「変化」は始まっている。
いろいろなものごとは、突然変化するように見えるけれど、その劇的な変化の前までに少しずつ、でもずーっと変化し続けている。地震がそうであるように。
今は何にもないように見えるけれど、その下では確実に変わっている。
このような自然の法則に学んで欲しい。
新しい班になって、「実力アップ」、「仲間作り~本音が言い合える~」を目指せるはず(班編制委員会では、そういう視点でメンバーを決めたから)。
合唱コンクールや体育祭やクラスマッチという特別な日に「変化」が起こるのでなく、何にもなかった平和な日にどんなことをやれたかが、来たるべき日の「大変化」をもたらす。
目の前にある合唱コンクール、冬季実力テスト、約4ヶ月後にある受験…、自分たちの大変化を目指すのなら、ふだんの日々にこそ努力をしよう。
今から見れば、まだこの頃は、行事がぎゅうぎゅう詰めではなかったのかもしれません。
でも当時もバタバタしてて、1992年は通信を年に30号も発行できませんでした。この年、中3だった子(いや、今はいい歳の大人ですね 笑)が数人、読者になってくれてるので、この場を借りて謝ります。ごめんなさい<(_ _)>
ちなみに今回紹介した通信の中の記録1は、読者になってる教え子の1人が書いたものです。憶えてるかな~。
数年前、4月行事の数を数えたことがあります。出席日数15日ほどで行事が30以上。他の月もほとんど変わらない感じでした。
雨後のタケノコのように、新たな「◯◯教育」という行事が、どんどん学校に入ってきます。「租税教室」「いのちの授業」「食育」「暴力団排除教育」「青少年のためのオーケストラ」…1つひとつの意図するものはそれぞれ大事なのですが…。
昔の人は「一升徳利に二升は入らぬ」ということわざを残しました。
まるでジグソーパズルを作るかのように行事を入れ込むことはできます。しかし、その多さに、1つひとつの行事の目標が見失われ、ただただ行事消化に追われているように感じます。
また、1つひとつの行事の目標を見失っているだけでなく、日常に大切にすべきこと(私の場合は、生活ノートや班ノートへの赤ペン返事、学級通信書き。すなわち学級集団作り)を省略して、そしてそれが当たり前になってしまったり…そんな感じです。
今回、紹介した通信に書いた「自分たちの大変化を目指すのなら、ふだんの日々にこそ努力をしよう」ができる現場、すなわち「ふだんの日」と言える日(何にもない日)に、子どものための努力ができる現場を求めたいですね。
おお〜、これぞ学校の働き方改革!
そういう努力(子どもどうしをつなげるための努力)を積み上げてきた先生が先輩になったなら、若い先生に対して傷害や威力業務妨害(マスコミでは「先生のいじめ」と表現してますが、私は犯罪だと思ってるので)はしないはずです。